◆ 港七福神 ◆・・・

◆ 麻布十番の名所  ◆・・・


●大黒天  ◆栄久山 大 法 寺 (日蓮宗)

港区元麻布1−1−10
03−3451−6039


港七福神めぐりのご朱印の専用色紙と巡拝用の地図は各社寺にて配布しています。
御朱印代は各社寺とも 300円です。

◆大黒天は、福徳や財宝を与える福の神ですが、原形は闇の神様です。大黒は梵語の摩訶迦羅 マハー・カーラ の訳で、マハーが大で、カーラが黒です。ヒンズー教ではシヴァ神の化身で、シヴァ神が世界を灰にする時、この姿になるとされています。また姿も七福神の大黒さまとはかなり異なり、恐ろしい姿をしています。曼荼羅の中に描かれている大黒天は後者に近い姿です。密教では自在天の化身です。
 七福神の大黒さまは、狩衣のような服を着て頭巾をかぶり、右手に打出の小槌、左手に大きな袋を背負い、米俵の上に立っているのが一般的です。俵に乗っている由緒は
「毎日ご飯を供えてお参りすれば、一生食に不自由はさせない」というお告げが残され、米俵と結びついたようです。食堂や台所にまつられることが多く、そこから転じて お寺の婦人(僧侶の妻)を大黒さまと呼ぶこともあります。
 また建物の中心となる太い柱を大黒柱と呼びますが、これは大黒さまが天・地・人を守る事から屋台骨を支えるものをこのように呼びます。神道では大国主命(おおくにぬしのみこと) と大黒天を結び付け、大国天とすることもあります。神社にまつられる七福神では大国天が多いようです。


大法寺は
 慶長2年11月(1597)、慈眼院日利上人によって創建されました。享保15年(1730)、日舜上人法華経三万部読誦の功徳によって不思議な大黒天尊蔵を感得されました。このご尊像が伝教大師作「三神具足大黒尊天」す。

 ご尊像は、麻布六本木の旧家伊勢屋長左衛門の秘仏でした。ある夜、長左衛門の夢枕にご尊像が立ち、
 「我れ汝の家にあること久し、今法華経読誦の功徳により法華経守護の為め大衆に福寿を授けんことを誓い法華経読誦の地に往かん」
と告げられました。翌朝、長左衛門が夢からさめて、この秘仏を拝せんとしますが、不思議なことにご尊像のお姿はありませんでした。長左衛門は近隣に法華経読誦の地を捜し求め、一本松に日舜上人の法華経三万部読誦を知り、また、不思議なことに我が家の秘仏があることをしりました。長左衛門は日舜上人に霊夢を語り、このご尊像を献納されたのです。当山五世日亮上人 は、このご尊像の霊夢を得て大衆に福寿を授けることを誓い、日舜上人よりご尊像を拝受し永代当山に奉安し大衆帰依の道を開きました。栄久山大法寺は江戸時代には赤門寺と呼ばれ、甲子の祭日
には縁日が盛んで賑わいました。地元では大法寺というより一本松の「大黒さま」として親しまれています。

 ご尊像
「三神具足大黒天」の「
三神具足」というのは、ご尊像のお姿が大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪をいただき、背には毘沙門天の鎧をつけているところから、大黒天の福寿と弁財天の円満と毘沙門天の除災得幸を表して居られると讃えられることになりました。
 この三神具足大黒天尊像は秘仏として普段は公開されていませんが、大法寺さまの広く大勢のみなさまに福寿を授けたいというご厚意により御影を撮らせて頂きました。大法寺にはこのご尊像のほかにも多くの大黒天像が祀られ、御利益多いお寺としてお参りされています。




山門を入って左には、大きな桐の木の下にお稲荷様が祀られています。

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また、小さな子供達の保育の場として「ひまわり会」が主催 され多くの子供達が健やかにここから育っていっています。時おり、ひまわり会の子供たちは、有栖川宮記念公園で元気に遊び、お母さんといっしょにお弁当。気持ちいい緑の木々の下でとびまわっています。

 


 

節分会

 

 毎年2月3日節分の日には追儺会(ついなえ・豆まき)が行われます。
 麻布十番商店街ではこの節分絵に協賛して毎年商店街の年男が参加、翌年の年男が鬼の役をして子どもたちに喜ばれています。


 

 大黒さま大法寺の前の坂は、その名の通り「大黒坂」。
 坂を上ると麻布七不思議の一つ「一本松」がある。そこは「一本松坂」。右の折れると「暗闇坂」、その間の道を行くと急な勾配の「たぬき坂」がある。

 

七福神イラスト提供:Art.Kaede

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