麻布七不思議

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ガマ池
 
ガマ池高札ガマ池 絵図麻布本村町35番地(現港区元麻布2丁目7番地9)にあります。備中成羽五千石(今の岡山県西部)の領主、山崎主税助治正の屋敷跡、明治維新の後、渡辺国武子爵の邸となり、池もその所有となりました。美しい日本庭園の中に、池の広さだけでも約500坪(1650u)、四面は深い樹林に囲まれ、いかなる日照りにも涸れたことがなかったと言われていました。 その後、池は昭和8年周囲が分譲地となり、大部分が埋め立てられました。戦後もマンションの建設等で、現在ではわずかにその一部を残すのみになってしまいました。
  今また、残された池が埋められようとしています。マンションの立替工事です。取り壊された工事現場から久しぶりにがま池を見ることが出来ました。半分以上埋め立てられたとは言え、今はまだ写真のような景観が残されています。これ以上埋められないように皆で話し合って解決策を捜したいものです。 (2001.4.)
明治時代のがま池がしのばれる東京名所図会・麻布西町渡辺國武氏庭園蝦蟇池の図 ↑

 その昔、旗本山崎主税助治正の屋敷内の池に棲む大がまが、夜回りに出た家来を殺した。がま退治を決意した治正に、がまは白衣の老人となって夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすことを誓った。その後、文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。   「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。
 戦後、末広神社は竹長神社と合併され十番稲荷神社となりました。「上の字様」は一時期中絶されていましたが、前宮司石井氏のとき、昭和50年8月より現代の「上の字様」、『蛙の御守』として復活し、火傷、防火の御守としてだけでなく「カエル」の語音から『若かえる、幸せかえる、財貨得る、家得る、落しのもかえる、無事帰る、何でもかえる、・』等々広くそのご利益が信じられています。十番稲荷神社には近年蛙の石像も奉納され、社殿は平成8年に新築されました。
 
ガマ池 昔 ガマ池

上の写真は大正12年(1923)頃の渡辺国武子爵邸ガマ池での記念写真の風景です。
庭園には約100名、右の池の中の小島と橋の上にもそれぞれ10名以上の人が数えられます。右の写真(2001.4.)の小島と比較してみて下さい。むかしの庭園の広さ、ガマ池の大きさが想像されますね。

★ 下の二枚の写真も大正時代のガマ池です。池の中の小島には左右から橋がかかっていたのでしょうか。それにしてもいかに大きな池だったかがわかりますね。写真は当時お近くにお住まいだった五味澄子さんにお借りしました。(2012.4.17.)

ガマ池 昔ガマ池 昔
 
ガマ池 地図

がま池がなくなりました・・・?  
 500坪もあった蝦蟇池は、昭和8年に半分ちかくが埋め立てられ分譲され、戦後もマンションの建設でわずかに残されるのみとなっていました。ところが最近そのマンションのオーナーが建物を売却、新たに建てなおされることになったようです。今、古いマンションの取り壊し工事がはじまり、新しいマンションでは蝦蟇池は埋め立てられるのではと心配の声が上がっています。前のマンション工事のとき全部埋め立てられるところを反対運動をしてかろうじて池の面影を残したのは、近所の外国人たちの運動でした。私たち日本人は大きな資本に対してあきらめと無関心でいるのではないでしょうか。   先日、町会の役員の方が反対の署名を集めに来られましたので、喜んで署名したところです。商店街の広報誌「十番だより」でも蝦蟇池を取り上げ、その事実だけを伝えていますが、利益ばかりを追求するのではなく歴史を守る姿勢を巨大企業にも求められてもいいのではないでしょうか。閑静な住宅地域に100メートルを越すビルを再開発の名のもとに造る企業の姿勢に、やはり無力感を覚えるのは私だけでしょうか。再開発ではなく、このHPのタイトルのように”Discover Juban”再発見、再保存を考えられないものでしょうか。再考を求めたいものです。

ガマ池 ポスター

近隣の外国人による反対のポスターも見られます。
 "Don't take away our sun woods and Environmental /
Historical asset GAMAIKE spring !"

ガマ池

上から見たがま池。
緑の木々の間から見える池には大きな鯉が見られるそうです。
ガマ池

 マンションの中庭になり長い間一般には見ることが出来なかった「がま池」。
今、取り壊されたマンション工事で久しぶりに見ることが出来ました。
500坪もあったといわれる池は小さくなったとは言え豊かな水をたたえています。
このような美しい自然、歴史的な資産をこれ以上削ってはいけないと思うのですが、
利益優先の資本には勝てないのでしょうか。 
港区の資産として公園化するような道を考えられないのでしょうか。

 (この3枚の写真は麻布学園のホームページに掲載されたものです。
ご好意により転載させて頂きました。 2001.4.16.)

英文の反対看板、 To Sun Wood Corp.  "Don't take away  our Sun Woods - ”
業者の名前がサンウッドなんです。「陽の光いっぱいの緑の森と歴史的資産を奪わないで!…」
「サンウッド」とはよくつけたものですね。「サン」は太陽ではなく数字の「3」、三つの木、つまり「森」、それとも、森の息子(son)で森の子会社。やはり彼の巨大資本が後ろで動いているんですね。どうです、いっそうのことポンと港区に寄付して公園を作ったら、きっと株が上がりますよ、ね。
 
ガマ池 さくら ガマ池 さくら←桜の花びらが湖面を飾る。



大きな鯉も数多く見られる→

下の2枚と一番上の写真は署名活動に見えた麻布十番の早川さんが撮影したものです。ほんとうに多くの皆さん懐かしく大切な地元の財産だと思っています。区が買い上げて公園化する方向で進むといいのですが…。

 
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