店声仁語−4− ( 2002.3.〜2002.8.)

店声仁語:目次・・・


★ 納涼まつりが終わって遅い夏休みを蓼科の山で過ごしてきました。山はもう秋の風、咲く花もすっかり秋の色でした。三日間の雑踏を忘れさせてくれた初秋の山を紹介します。

2002.8.25.


蓼科高原
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★ 8月15日、智子が逝って8年になる。御茶ノ水の学生街の喫茶店で働いていた智子にはじめてあったのは40年も前、大学一年の時だった。クラブの溜まり場だったその店には教室よりもしげく通っていた。同い年ということもあり同期の仲間たちと一緒によく語り明かした。智子は宮城県白石市の生まれ、父親は戦死、母親は3人の子供を抱えて過労から病死し、親類に引き取られ兄弟とも別れて上京したのは小学校の時だった。御茶ノ水の中学校を出るとすぐに、親類の経営する喫茶店を手伝うようになる。
 明治大学グリークラブ、男だけのクラブに唯一女性の部員のような存在の智子は、その後、兄弟も相次いで亡くし天涯孤独になったが、とにかく明るい娘だった。それから35年間、智子は部員の良き友として、良き姉として、良き母として歳を重ねていった。卒業し、やがて結婚する部員の多くが智子を結婚式に呼んだ。女房子供を連れて里帰りするように智子の店を訪ねた。智子もまた部員の名前だけでなく奥さんの名前も子供たちの名前も誕生日までも覚えていた。
 そんな智子が亡くなったのは平成6年8月15日だった。身寄りのない智子の葬儀は、明治大学グリークラブOB会が中心になり無宗教で行われた。夏休みで帰郷中のOBが全国からかけつけ、花に包まれた簡素な祭壇にはグリークラブの演奏テープの歌声が絶えることなく流れ、献花が続いた。愛唱歌を歌い、明治大学の校歌を歌って棺を送る男たちは皆泣いていた。「おやじの葬式でも泣かなかったのに・・・」と言った友人の言葉を今でも思い出す。後日、智子の遺品を整理していた後輩は、荷物の中に結婚式の為の未使用の祝儀袋の束を見つけた。行かなかった高校の合格通知書を見つけた。今年もまた何人かのOBが仙台郊外の墓地に眠る智子のお墓参りに行く。8月15日、智子が逝って8年になる。

2002.8.2.

 


★ 「商店街の公式サイトにゴルフのページは要らないよ、あまり商店街と関係ない事も、商店街の恥になる事も書くなよ」「ハイそうですかわかりました」と商店街と関係ないページを削除したらこのサイトは1/3か1/4くらいになるでしょうね。コンペもお寺も大使館も七福神、七不思議、周辺案内も、この店声仁語なんか先ず削除でしょう。遊び心のない何とまぁ味気ないつまらないページになってしまうのではないでしょうか。加盟店の案内も一覧表、イベントもコメントのない一覧表、納涼まつりも日程と内容の箇条書きでは皆さんリピートしてまたアクセスして 下さいますか。まぁ、用件だけわかればいいという方もいるかもしれませんが、創る立場で考えるとそれではあまりにつまらないんです。麻布十番への熱い思いは私サイトだけにして、本当に削除してみたくなりました。と、まぁ、3週間にして制作意欲をなくしたHP作者であります。

「空に浮かぶ 雲の型とか 動きって
  まるで いろんなにんげんの 心みたいだね。」

「あなたは とっても しあわせ者なんだよ。
  だって ひとよりも より多くの風を 味わえたんだから。」

ひろはまかずとし著「あたりまえの愛」より

2002.7.20.

 


★ ドメインDNSの変更が7月3日、私個人のHP「麻布十番未知案内」に比べるとさすが「麻布十番」のブランドはアクセスが多い。けれども本来もっとアクセスがあったのだと思っている。マスコミが書きたてるブランド・レストラン「麻布十番」、どんなものか行ってみたとしましょう。入り口のドアが何故か開かない。やっとの思いで中に入るとメニューも出てこない。なんとか注文はしてみたが、待てど暮らせどサンプルテキストが出てくるだけ。やっと出てきたものは「何これ?」って感じで食えたものでない。もう二度とくるものか!そんなHPを1年も続けていたのですから、今、新装開店の宣伝をしても一度なくした信用はなかなか取り戻せないのでしょう。少しづつアクセスが増えることを願い、アクセスされたお客様に満足頂くようページ作りをしなければと、改めて責任を感じています。三ツ星レストラン「麻布十番」を目指して美味しいページを作りますか。私サイトが疎かになってきました。そっちも・・・。

2002.7.9.

 


★ 勉強になりました。幾つになっても勉強することはいっぱいあるものですね。私にとってはパソコンはボケ防止どころでない頭の体操です。今回、麻布十番の公式サイトを創るのに260店と言うページ数の多さは、根気の問題でした。便利になったホームページ作成ソフトは、慣れればさほど苦もなくページは創れるものです。後はセンスの問題、これは人それぞれの感性の違いでいかようにもとれるものです。ホームページ創りは理科系ではなく文科系だと言われるのは、その辺のところでしょう。一ヶ月の根気と忍耐、時間への挑戦が終わって、最後のひとつがカウンターでした。簡単に張れるカウンターはWeb上にたくさんあるのですが、選んだカウンターがちょっと私には難しいものでした。ドメインの移行が完了した7月3日、カウンターは動いていませんでした。大勢の方々から、「あれは?」「あそこは?」「これはやりましたか?」と教えを頂きました。やっと動いた時のホッとした感じ、あぁ、出来た〜!ドットひとつ違っても動かないPC、いや、勉強になりました。そして、ありがとうございました、です。
 これからも、お気づきの点がございましたらよろしくご指導下さい。工事中のところは出来るだけ早く仕上げていきたいと思っています。ほんとうにありがとうございました。

2002.7.8.

 


★ 「山本さんはヒマだから」また言われそうです。でも言いたい奴には言わせとけです。私も1日は24時間しかありません。要はやる気があるかないかです。麻布十番商店街の公式サイト明日7月3日午後、オープン。「麻布十番未知案内」をベースに私的なところをカットして急きょ立ち上げましたので、まだまだ不備も多いと思いますが、納涼まつりの問い合わせに対処しようと急ぎました。いくらヒマな私でも仕事の合間に、閉店後の深夜に260店のページをそれなりに作るのは、この1ヶ月はきつい仕事でした。商店街の連中は「山本さんはヒマだから」程度にしか感じないでしょうが、HPを作ったことのある方にはこのキツさがわかったいただけるかと思います。一銭にもならないボランティアは「麻布十番が好きだから」、それだけなんです。加盟店の写真を雨の中撮り歩いてくれた3人のメンバーに感謝、まだ撮れてないお店もたくさんあるぞ!原稿も集めて!でも、さすがにちょっと疲れました。

2002.7.2.

 
 
★ ひろはまかずとし著「あたりまえの愛」より

「もし本当に 必要というのなら
 おもいっきりの自由を さしあげてもいい。
   でも 今のあなたに
    それがうまく 使いこなせますか。」

「それぞれが おもいおもいに
   輝いてこそ ほんとうの 調和は 生まれます。」

「山が用意されたら 登ればいい。
  椅子が用意されたら 座ればいい。
    『生かされる』とは そういう事です。」

「自分の体を確認する為に
  鏡というものがあるように、
    自分の心を確認する為に
       他人が存在すると 思えばいいんではないですか。」

2002.4.26.

 

きみちゃん貯金箱
★ 「遅くなってごめん、体調くずして二日ばかり寝込んじゃったんだ」。白金の太田さんが新しい貯金箱を持ってきて下さいました。早速台座に取り付けました。付けている時にも何人かに声をかけられました。
「新しいの作ったんですね」
「ひどいことする人がいるんですね」
「王様のブランチ見ました、頑張ってください」「やめないで下さいね」
大勢の皆様の応援、ありがとうございました。

昨年度分(2001.4〜2002.3)の65万円を来週ユニセフに贈ります。
累計760万円になりました。本当にご協力ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

2002.4.19.

 


★ 友人から店声仁語のミスを指摘されました。「悲しい酒、飲みに来たよ」の後に「お土産をたくさん持って…」が落ちているというのです。確かにそうでした、ゴメン。「奥さんの手料理についつい酒量もはずみ…」まではよかったのですが、「帰り際、ビールの空き缶を数えていた仁の後ろ姿が忘れられません。アハハ…」(全文)。別に嫌みで数えたわけではありません。友の体を心配してどのくらい飲んだのかなぁと。で、ビール13缶、ワイン一本。このうち2/3がMT君、お互いにもう若くないんだから飲みすぎには十分気をつけて下さい。アハハ。つられて飲んだ奥さん、翌日二日酔いで参っていました。

2002.4.15.

 


★ 「悲しい酒、飲みに来たよ」、久しぶりに昔話を酒の肴に飲みました。「うっかり話すと店声仁語に書かれるからな」と駄洒落の友人。悲しい酒を癒すように温かな人たちの訪れが続いています。毎朝、きまって1円、5円、10円の硬貨を1枚づつ16円を置いていかれる方、「お母さん小銭ないか、じゃいいか。これ10日分な、十番に来ると必ず入れていたんだよ」そういって1000円置いていかれた夫婦。「大阪から来たんです、ひどいですね」と若いOL二人。「簡単な絵でいいから描いてFAXしてくれ、今度はステンレスで作ってやるよ」。前の貯金箱を作って下さった白金の太田製作所の太田幸太郎さんからの電話でした。「壊されたからってやめちゃだめだよ。何度でも何度でも作ればいいじゃないか、やめるのは簡単さ」と見ず知らずのお客さん。小学生の女の子二人が、また来てくれました。「お小遣いなくなっちゃうよ、大丈夫か」「ん」ニッコリうなずいて帰っていく二人の笑顔。悲しい酒ではなく楽しい酒を飲みました。ありがとうございました。

2002.4.13.

 


★ 寂しい思いを打ち消すように、小学生の小さな女の子が二人、「きみちゃんのチャリティーここでいいんですか」とお店まで届けてくれました。そのあとも、今日も、何人かの方が来てくださいました。心温かな人、心豊かな人の方がまだまだ大勢いるじゃないか。また同じ形の貯金箱でもいい、続けていこう、そう思っています。ほんとうにありがとうございました。
店声仁語を読んで例の親友M.T君がメイルをくれました。「僕も悲しくなりました。<悲しい酒>でも飲みませんか。」返信はもちろん「飲みましょう」。

2002.4.5

 


★ 今朝はいやな思いでいっぱいでした。きみちゃんのチャリティー貯金箱がなくなっていたのです。毎夜、一日の浄財を預かっているので、ほとんど空っぽの貯金箱ですが、台座に埋め込まれた四本のアンカーごと取られていました。心無い人というか、心貧しい人というか、なんとも情けない思いでいっぱいでした。しばらくの間、チャリティーの募金は私のお店でお預かりしようと思っていますが、人知れず置いてくださる方も多くこれからどうしようかと・・・。同じものを作って置いても、また、同じようにとられるかなと思うのと、「もう、やめたら」という冷たい声が商店街から聞こえてくるのが・・・それ以上に寂しいですね。

2002.4.4.

 


★ 4月に高校生になる息子、お弁当を持って芝公園に集合、お花見とボーリングのクラス会を楽しみにしていました。私立の中学に行った息子は、小学校の同級生と3年ぶりの再会です。

「皆大きくなったろうね」
「でも、お父さん、オキミかオハミだね」
「なんだい、それ?」
「だって、もう桜散っちゃったもん、お木見かお葉見じゃん」
「!」

2002.3.28.

 


★ 9日(土)TBSTV『王様のブランチ』の「23区、港区の春と人情を探す旅」で、きみちゃんとチャリティーのことを話す機会を頂きました。ちょっとヤラセ的に貯金箱を開けたりもしましたが、『一部は阪神大震災の義援金にも贈られているんですよ』と話すと、神戸出身のレポーターが震災を思い出して泣き出したりのハプニングもあり、好意的に編集され放送されました。その日、翌日の日曜日はチャリティーの小さな貯金箱はいっぱいでした。あらためてTVの力を知らされた思いでした。いつもは夜遅くに誰にも見られないようにそっと貯金箱を開け、皆さまからの温かな浄財をお預かりしているのですが、放送から10日もたった昨夜、そっと貯金箱を開けていると、『こんばんわ』と声をかけられました。『テレビ見て感動しました。頑張って下さい』。若い男性でしたが、どこかで誰かが見ていてくれると、うれしくなりました。ちょっと疲れてきたけれど、まだやめられないですね。

2002.3.20.

 


★ ADSLに接続しました。その速さに驚いています。一緒にメイルのアドレスも変更したので友人にアドレス変更の連絡メイルを出しました。

「アドレス変更します。そのまんま「仁3」です。jin3@k4.dion.ne.jp
ちょっとキャリアのYOさんからすぐ返信がきました。
「おもしろ〜い♪ 私もパクッて ne-3 か ba-3 に変えようかな。(^^)V 」
すぐまた返信、
「おもしろ〜い♪ それはもう ba-3 でしょう 。(^^)V 」
きびしい返事が返ってきました。
「もしかして jin3 じゃなくて ji-3 だった!(-_-;) 」

2002.3.12.

 

★ 2002.3.1.の店声仁語を読んで親友M.T君が感想Mailを送ってきた。曰く

「親友と心友、いいですね。真友とか信友も温かくて好きです。言葉の遊びだけど、新しい友=新友、辛口の友=辛友、慎重な友=慎友、賑やかな友=賑友、痛そうな友=針友、清いお付き合い=清友、キスまでの友=唇友、ベッドインしたとも=寝友、出来ちゃった友=娠友。親友=両親の友達 ?仁さんの友=仁友!」

駄洒落の好きな真友であります。

2002.3.7.

 
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