■ 毛利甲斐守邸跡−1− (六本木6−9−11) これらの風景はもう見られません。六本木ヒルズの池は何の価値もない単なるレプリカです。昔 の面影はどこにもありません。 江戸の末まで毛利家の屋敷があったところで、99年まで閑静な木立に囲まれた和風庭園が残っていました。ここは忠臣蔵の間新六郎ら10名が預けられ、切腹した史跡でもありました。 また、池のほとりには乃木希典(1849〜1912)将軍誕生の地の記念碑と産湯の井戸といわれるものも残っていましたが、今、六六開発の巨大プロジェクトによりその面影は見られません。これらの史跡は残すことが約束され、復元ではなくそのまま残されることを信じていたのですが巨大資本に裏切られた感じです。 毛利家に預けられた義士は、岡嶋八十右衛門、吉田沢右衛門、武林唯七、倉橋伝助、村松喜兵衛、杉野十兵衛、勝田新左衛門、前原伊助、間新六、小野寺幸右衛門の10名で、名前を書かれた高札もあったのですが・・・。
こんな所で 見つけました! 「乃木大将生誕之地」の碑・・・、ですが?
史跡 毛利家甲斐守邸跡にあった記念碑は生誕の地から南西に300mも離れた、新しく造られた「さくら坂公園」建てられていました。 何故、元のところに・・・。元のところはもはや史跡ではないですが、残念ですね。 石碑にヒビが入っているのも残念です。 ここは乃木希典将軍の生誕の地ではありません。念のため。 2003.7.
「乃木将軍と辻占い売りの少年の像」 見つけました。
旧乃木邸に移設されていました。ここは乃木将軍の住居だったところですから関係ない場所ではないですが、元の毛利家の庭園の池の畔にもどさなかった思惑が何となくわかるような気がします。 それでも像が見つかってホッとしました。 2004.8.19.
●旧乃木邸と乃木神社