○ くらやみ坂の怪 ○天井桟敷 ○落語「黄金餅」と坂 ○都立中央図書館
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「暗闇坂」と聞いて、ミステリーファンの人なら、島田荘司を思い出すかも知れませんが、あれは横浜が舞台となっているので、ここではありません。 江戸時代、宝暦年間にできた『怪談老の杖』(作・平秩東作)には、この坂についてのちょっと不気味な話が書かれています。 「くらやみ坂の上にある武家屋敷にて、あるとき、屋敷の内の土二三間が間くづれて、下のがけへ落ちたり。そのあとより、石の唐櫃出たり。人を葬りし石槨なるべし、中に矢の根のくさりつきたるもの、されたる骨などありしを、また脇へうずめける。そののち、その傍に井戸のありしけるそばにて、下女二人行水をしたりしに、何の事もなく、二人とも気を失ひ倒れ居たるを、皆々参りて介抱して、心つきたり。両人ながら気を失いしは、いかなる事ぞといひければ、私ども両人にて、湯をあみをり候へば、柳の木の陰より、色白くきれいなる男、装束してあゆみ来たり候ふ。恐ろしく存じ候ひて、人を呼び申さんと存じ候ふばかりにて、後は覚え候はず、と、口をそろへて言ひけり。その後、主人の祖母七十有余の老女ありけるが、屋敷の隅にて草を摘まんとて出で行きて見えず。御ばば様の見え候はぬ、と騒ぎて尋ねければ、蔵の後ろに倒れて死し居りける。そのほか怪しき事ありしかば、祈祷などいろいろして、近頃はさる事も無きやらん、沙汰なし。確かなる物語なり。」 最後にある通り、実話だそうです。どうなのでしょう。
暗闇坂を下りきると、麻布十番に戻ります。坂下を左折してみます。元麻布3−12−43には、かつて、寺山修司(1935〜1983)の前衛劇団「天井桟敷」の劇場・天井棧敷館がありました。 渋谷から1976年に移動、演劇運動の先導的役割を果たしましたが、1983年、寺山の死と共にその役目を終えました。 その後の建物(左下)も今は取り壊されて駐車場になっています。
一本松の前は変わった形の交差点となっています。そしてどの方向に行っても坂道です。すべてに名前がついています。大黒坂・暗闇坂・一本松坂・狸坂。 古典落語『黄金餅』での話。貧乏な長屋暮らしをしている金兵衛は、隣に住む乞食坊主・西念の臨終に立ち会う。西念は、吝嗇して貯めた大金を自分の死後、みすみす他人の手に渡すのが嫌ですべて飲み込んでしまいました。それを見ていた金兵衛は、なんとかそれを取ろうと、火葬の許可証をもらうため、自分の知り合いの寺の坊主を訪ねます。金兵衛の家は下谷の山崎町(今の上野駅のあたり)、寺は麻布のこの大黒坂を越えたあたり。その遠い距離を、タクアンの樽に死体を入れてえっちら運ぶのです。 「上野の山崎町を出まして、三枚橋から上野の広小路へ出まして…神田の須田町へ出まして、新石町から鍛治町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして石町へ出て、日本橋を渡りまして通り四丁目へ出まして、あれから京橋を渡りましてまっつぐに新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして新し橋の通りをまっつぐに、愛宕下へ出まして天徳寺を抜けまして西の久保から飯倉六丁目へ出て坂を上って飯倉片町、そのころ「おかめ団子」という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を下りまして十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶江釜無村の木蓮寺へきた時には、ずいぶんみんなくたびれた。」 (古今亭志ん生『黄金餅』)
最後に出てきた「釜無村」というのは創作ですが、似たような名称「釜無し横町」というのは麻布七不思議にありました。釜も持たないような貧乏横町、という意味ですが、一説によれば、どうやら釜を使って湯を沸かし、それによって吉凶を占ったり魔よけをしたりする陰陽師の一族が住んでいたのであろうといわれます。
〒106−8575 港区南麻布5-7-13 03-3442-8451
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