★こんなメールをH.Sさんから頂きました。
略・・・楽しく読ませていただきました。なかでも、赤い靴の逸話には、大変感銘を受けました。像があるのは知っていたのですが、赤い靴の女の子が預けられたのが鳥居坂だったとは驚きました。さて、今日メールをお送りしたのは、一つ疑問に思うことがあったからなのです。それは、なぜヒュエット夫妻は、きみちゃんを本国に連れて行かなかったのだろうか?ということです。もちろん、体調が船旅に耐えられないというのが表向き?の理由でしょうが、それなら帰国を伸ばすとか、ドクターを同行させるなどの手はあったと思うのですが、孤児院に残して去ってしまう、というのがなんだか子を持つ親の心境として非常に違和感を感じてしまうのです・・・略
少し長くなりますが、こんな返信を書きました。
メール、ありがとうございました。
このHPを立ち上げた理由の一つが「きみちゃん」のことをみんなに知ってもらいたいからでした。その意味で貴兄がきみちゃんに関心を持って下さったことをうれしく思います。きみちゃんのことを調べたのは、当時北海道新聞の記者だった菊
地 寛氏です。私の話は菊地氏の本の受け売りですが、きみちゃんに関わって20年近くになります。麻布十番にきみちゃんの像が出来てからでも16年です。
私は単純に明治40年頃の、多分病人にはきついであろう船旅が出来なかったのだと解釈しています。また、ヒュエット夫妻がきみちゃんを養女にしたのはきみちゃんが3歳の時ですし、孤児院に預けたのは5歳ですから、きみちゃんを家政婦に的な感覚はないと思います。雨情の「人買船」にあるようなことが教会を隠れ蓑に行われていたと言う方もいますが、人間性善説的な考えの私にはこの説もきみちゃんには関係ないと思っています。また、ヒュエット夫妻ときみちゃんとは関係ないという方もいらっしゃいます。正確なところは確かに疑問が残らないわけではありません。ただ、きみちゃんに関わって、自然発生的に始まった子どもたちのためのチャリティーを続けているうちに、そのようなことは些細なことのように思えてきたのです。事実がどのようであれ、きみちゃんは9歳の短い生涯を精一杯生きていた。そして、今、多くの人々に感銘を与え子どもたちのために9歳のまま歩き続けている、子どもたちのためのチャリティーに役立っている、その事実だけでいいのではないかと思うようになっていました。
非力な一個人ですが、きみちゃんを通して子どもたちのために少しでも役立てばと思い、この15年間チャリティーを続けてきました。ですから、菊池氏の受け売りですが、きみちゃんのお話を子どもたちに話し、商店街のお祭りでチャリティーひろばを作って大勢の方々に話し続けています。細かなことは考えないで、きみちゃんという不幸な子どもを、今、私たちの社会にふたたび作らないように、親子の絆の大切さを子どもたちに知ってもらいたい思いで語り続けています。大勢の方々のご協力を頂き、これまでに890万円という大きな浄財をユニセフ(一部阪神大震災の義捐金)に送ることが出来ました。金額よりも、何よりも大勢の皆さまに、子どもたちにきみちゃんのお話を通してユニセフのこと、世界の恵まれない子どもたちのことを話す機会を得られたことをうれしく思っています。こうして貴兄と知り合えたように、大勢の方々に会えた縁の不思議さを大切にしていきたいと思っています。 貴兄のメールのお返事にはなっていないかもしれませんが、私のきみちゃんへの思いです。
メール、ありがとうございました。