大正9年には卸部を設立し、父は尊敬する大隈重信を登録商標にした『大隈足袋』を製造卸、当時行われた上野博覧会に出品、受賞するなど業績を大きく伸ばしていきました。
大正12年の関東大震災では、復興委員の一人として活躍したと『麻布史』にも
山本仁作の名が見られます。
足袋のタッグ いろいろ
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昭和16年には麻布区議会議員に当選、地域振興に活躍しました。
中央が父、左隣りは近江屋家具店先々代の音居さん、右隣りは白水堂先代の松浦徳一さん、右端は戦後クラウンガスライター
の前身、市川産業鰍創立、十番稲荷神社にエノケンさんと鳥居を寄贈した市川要吉さん。 |