ラグーサ玉(1961-1939)日本名は清原玉。
日本人初の女流洋画家。1882年に21歳でシチリアに渡り、72歳までの52年間をシチリアで過ごした。 昭和14年に建てられたラグーサ玉女史の碑(左)の碑文には次のように書かれています。
ラグーサ玉女史
「文久元年 江戸芝新堀の清原家に生まれ幼より画を好む 偶々伊太利彫塑家ヴィンチェンツォ・ラグーサに洋画を学び 明治15年その郷里パレルモに伴わる後 同市新設の高等美術工芸学校副校長に任ぜられ ラグーサ校長を補佐す 明治22年結婚 エレオノラ・ラグーサと名乗る 画名欧米に洽し 昭和3年夫君逝く
昭和8年半世紀余の滞伊生活に別離し居所昔ながらの清原家に還る 女史非凡の画才は南欧の絢爛優婉なる色調と日本人特有の構図の妙と典雅の筆致を併せ東西融合の独自の境を開く 昭和14年4月5日突如昏睡 翌6日早晨79歳を以て逝く 時に枕頭の水彩顔料未だ水を含みて残る 嗚呼女史は絵画の化身なりき」
昭和14年11月建 玉光会
堀 通名、菊地鑄太郎、佐野 昭、金澤正次、
松岡 壽、渡邊直達、畑 正吉、岩崎雅通 |