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2010 秋まつり お神楽・小鹿野こども歌舞伎・十六神楽 奉納  の様子です

  小鹿野町 無形民俗文化財 「十六神楽」
(注:2010年の様子です) 「釣場」
  事代主命(ことしろぬしのみこと)が「サガリハ」の囃子で釣り竿を持って登場。茂登喜(もどき)が出てきて、「トッピキ」の囃子でにぎやかに舞います。事代主命の釣り竿で魚を釣り上げたところ、赤目(アカメ)という化け物が釣れてしまい、大騒ぎになります。赤目は魚のお化けで、これをお囃子で追い込み、一件落着となります。
  小鹿野歌舞伎−1小鹿野歌舞伎−2
   
  小鹿野町 「こども歌舞伎」  「口上」、「 三人吉三巴白波 大川端出会之場」「ガマ油売り口上」
  小鹿野歌舞伎−3 口上
「口上」

麻布 氷川神社 例大祭奉納歌舞伎公演にあたり、お祝いの言葉やこども歌舞伎の案内、来場者へのお礼など、艶やかな裃衣装のこども二人が賑々しく「口上」を申し上げます。
  ガマの油売り 「口上」 ↑
  「三人吉三  巴白波 大川端出会之場」 ↓ 
  ガマの油売小鹿野子ども歌舞伎−1
写真提供 DEEP AZABU
 
9月15日(土) 宵宮  18:00 〜 18:15   竹谷町・新堀町・本村町 三町そろって神輿参詣

9月16日(日) 神楽奉納 無形文化財 里神楽・齊藤一夫社中
   
  氷川神社 神楽殿氷川神社 神楽−1
   
氷川神社 神楽−210:00〜10:30 午前祭典式・幣神楽
10:40〜11:00 巫女舞
11:20〜12:00 三筒男命
午後の部
13:20〜14:00 天孫降臨
各町会お御輿参詣
15:20〜16:30 八雲神詠(大蛇退治)
16:45〜17:30 大国之舞 敬神愛国
夜の部
18:40〜19:40 小鍛治
20:00〜21:00 熊蘇征伐
  *都合により演目・時間の変更あります
  氷川神社 神楽−3

◆ 神楽演目説明 ◆

1)巫女舞 (みこまい)
   お神楽を行う前に、神様のお通りになる道を清め、日頃のご守護を舞を以てお礼申し上げるお神楽です。
 
2)三筒男命 (みつつおのみこと)
   伊弉諾尊(いざなぎのみこと)様が つくしの国橘のおどのあわの原で、清い流れの川に入り禊ぎ祓いをされ体を清められた時、水底から上筒王(うわずつおう)、中筒王(なかずつおう)、底筒王(そこずつおう)の三神が生まれました。後の住吉三神と呼ばれ、一日のお神楽の成功を祈願し、ご参詣の皆さまの幸せを願うお神楽です。

3)天孫降臨 (てんそんこうりん)
   神代の時代、高ヶ原より日本の国に御血筋の真っ直な神を天孫として御降ろしになる事を決め、天と地の界 天之八地又まで降りて参りますと、道の端に異恐の神が立っていました。「降りの邪魔をしにきたのか」とお尋ねしたところ、「我は国津神猿田彦之命と申します。無事にお降りになられるように道案内を致します」という。ににぎの命様がお喜びになり、神国日本は神の国として今に栄えております。ににぎの命の命によって猿田彦之命と宇津女之命様と結ばれ 、相生の舞を行います。 現在神社の祭礼にてお御輿の先導役が天狗様(猿田彦)になった源とされています。

4)八雲神詠 (やくもしんえい) (大蛇退治おろちたいじ)
   八俣大蛇(やまたのおろち)退治で有名な神話を題材とした演目です。乱暴が過ぎて高天原を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は出雲の国に流れ着きます。そこは怪物、八俣大蛇が住む地でした。娘、櫛名田比売命(くしなたひめのみこと)を大蛇へ生贄として差し出さねばならない父親、足名椎(あしなづち)、母親、手名椎(てなづち)の嘆きを目の当たりにした須佐之男命は、大蛇退治に向かいます。そして一計を案じ、酒を飲ませて酔いつぶれた大蛇を見事討ち果たし、その尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙の剣をとりだします。大蛇退治の後、須佐之男命は櫛名田比売命と結婚をします。この場面において足名椎、手名椎の喜びの踊りはみどころのひとつです。  素戔嗚尊(すさのおのみこと素佐之雄命)は氷川神社の御祭神です。
 
5)敬神愛国(大国之舞) (けいしんあいこく・だいこくのまい)
   恵比寿様の所へ大黒様主従が訪れます。御酒宴となり恵比寿様が鯛を釣り上げますと、お供の者たちが料理をいたします。大黒様のお供が舞いにかかりますと、恵比寿様のお供が真似をします。真似てはいけないと言われてから、隠れて真似る「鈴隠し」と言われる面白い所作があります。最後に大黒様も舞い、打ち出の小槌から宝物を振り出して、めでたしめでたしで終わります。  お神楽の題名は自ずと内容を現わしているのが通例ですが、これは全くマッチしていません。明治初年官制改革があった時、戦国時代より廃止されていた神祇官をやめて宣教師を置きました。これも廃止になり、明治五年四月に三條教憲なるものが定められ、その第一条に「敬神愛国の旨を体すべし事」とあり、神楽師・講談師も教導職になりました。そこで古くからあった「三崎遊漁」というお神楽に大黒様をつけたして「敬神愛国」というお神楽を作りました。又、大黒様を出すのならもっと賑やかに七福人も出そうというようになりました。
 
6)小鍛治 (こかじ)
   一条天皇の御代、帝が夢の中で三条小鍛治宗近に剣を打たせるるようにとのお告げを受け、宗近に剣を打つよう命令します。しかし、宗近は相槌を打つ者がいないので剣を打てないと断わりますが、断わりきれず、神頼みに稲荷明神へ行きます。稲荷明神に着くと、どこからか子供が現われ、なぜか宗近が剣を打つべきことを知っていて、宗近に剣を打つよう激励します。 後場になると舞台正面の前方にしめ縄を張った一畳台が置かれます。装束を替えた宗近が登場し、一畳台に載り剣を打つ前に弊はくを持ち祈っていると、狐の姿の稲荷明神が現われ、宗近の相槌をつとめ、無事、剣ができます。 この剣は後に「小狐丸」と名付けられました。
 
7)熊蘇征伐 (くまそせいばつ)
  九州で多大な勢力を持つ熊蘇一族、人々に恐れられ悪行三昧の一族をそのままにしておけないと景行天王は皇子日本武尊之命に熊蘇を征伐するように命じます。命は用意周到、注意深い熊蘇一族を打つには、新室奉祝(にいむろほうが)という新築祝いの宴に女装をしてまぎれ込み、打つしかないと判断し、また、熊蘇が酒に弱いことを知り酌女をして酔いがまわった頃合いを見て征伐します。また、熊蘇が女性を所望するあたりで、お供に酒を運ばせたり床屋さんをやらせるなど滑稽な場面もあります。

本村町会のお神酒所に飾られた獅子頭と山車人形
山車人形−1 獅子頭 山車人形−2
本村町会には 、江戸時代から伝わる山車人形二体と大きな獅子頭が飾られています。
今、この山車人形を乗せる山車の復元が計画されています。
また、雌雄の獅子頭も本来は山車に乗せられ獅子頭山車として巡行、破邪の霊獣として尊ばれ祭礼の行列を守護する役割を担うものです。
人形の山車とあわせて獅子頭山車も復元されるといいですね。
  
◆この山車人形を保存するためのNPO法人「麻布氷川江戸型山車保存会」が東京都からNPO法人として設立認可を受けました。これからの活動に大勢のみなさまのご協力をよろしくお願い申し上げます。

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