1986 造成工事中のパティオ十番
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麻布十番商店街は昭和58年(1983)に東京都のモデル商店街の指定を受け近代化に着手しました。その第1期工事がパティオ十番でした。パティオ十番は 昭和60年(1985 )年秋 着工、翌年1986年春完成しました。それまでは、ここだけなぜか道幅が広く戦後の区画整理の歪みのようなところでした。
ここだけ広い4車線の車道だったことを覚えている方も少なくなりました。 この広い歩道に夏の納涼まつりの時には舞台を作った事もありました。青年会が舞台を担当し、ラムネの早飲みやアメさがしゲーム、オークションなどを行っていました。
←角は、今はありませんがハトヤ薬局、赤いテントは婦人服のジュネの本社でした。ジュネになる前はゲームの「はなやま」でした。 ゲームの「はなやま」は今で言う任天堂のようなもの、花山直康氏が花山ゲーム研究所として1933年に創業、ダイヤモンドゲーム、コリントゲーム等の室内遊技玩具に子どもたちは夢中になって遊んだものでした。 今の歩道の曲線が姿を見せ始めた1986.1月の風景です。
歩道の形が出来ると、古いコンクリートの電柱が聞き抜かれ、車道のアスファルトがはがされ、パティオひろば部分の造成が始まった。 ゆるやかな坂のようですが、雑式通りと網代通りとでは2mの高低差があり、広場の階段がそれをうまく解決しています。
1986.1.31.
車道と平行してひろばの階段が造られていく。このあと、ひろばには大きなケヤキの木が6本、左右の歩道にはトチノキが4本植えられました。
春の雪にひろばの工事は中断。 新しい丸い街路灯がもう出来ています。 1986.3.3
→緑のテントはフクヤ化粧品店、 手前が雑式通りです。 1986.1.20.
「パティオ十番」という名前は、十番だよりで一般公募で決めました。「にこにこ広場」「元気のでる広場」とかいろいろありましたが、目黒区の細田有二さんほか2名の方の案を頂きました。 「パティオ」はスペイン語で「中庭」を表します。今ではポピュラーになった言葉ですが、その頃は「舌をかむヨ」なんて言われました。 (*^_^*)
あれから20年、2006年現在のパティオ十番です。植栽された6本のケヤキ、歩道の4本のトチノキ、みんな大きくなりました。 残念ながら北側(2丁目3番地側)のトチノキは2本とも枯れて現在は二代目です。南側(2丁目13番地側)のトチノキと大きさが違いますね。