麻布十番周辺の坂 |
◆ 麻布十番の名所 ◆・・・
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大黒坂(元麻布1丁目):坂の中腹に港七福神のひとつ大黒天をまつる大法寺があったために呼んだ坂名。 |
一本松坂(元麻布1丁目):源経基などの伝説があり、古来植え継がれている一本松が坂の南側にある。現在の松は五代目といわれている。 |
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狸坂(元麻布2丁目):人をだます狸が出没したといわれる。旭坂ともいわれる。 |
暗闇坂(元麻布1丁目):樹木が暗いほど生い茂った坂だった。 |
七面坂(麻布十番2丁目):坂の東側にあった本善寺に七面大明神の木像が安置されていた。 |
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植木坂(麻布台三丁目):この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという。 |
鼠坂(麻布狸穴町):細長く狭い道を、江戸でねずみ坂と呼ぶことがあったと言われる。いたち坂とも言われた。 |
仙台坂(元麻布1丁目):坂の南部一帯が仙台藩伊達家の下屋敷だった。 |
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狸穴坂(麻布台2丁目):まみとは雌タヌキ・ムササビ・またはアナグマの類、その穴が坂の下にあったという。 |
新富士見坂(南麻布
4丁目):坂の途中に古い石碑を見つけました。正面に新富士見坂、横には富士見町と旧町名が刻まれています。クランク形に曲がった珍しい坂です. |
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永坂(六本木5丁目):麻布台上から十番へ下る長い坂であったためといわれます。 |
港区には89の坂があり、そうのうち麻布地区には42の坂があります。
十番周辺の坂をご紹介します。歩いてみては如何でしょうか。
坂には上下がありますが、ここの順番は順不同、上下なし!
(まだほんの一部ですが、ヒマを見て写真を撮ってきたいと思います。)
麻布十番未知案内 Home |
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鳥居坂(六本木5丁目):江戸時代半ばまで坂の東側に大名鳥居家があった。
(坂上) |
鳥居坂(六本木5丁目):江戸時代半ばまで坂の東側に大名鳥居家があった。
(坂下) |
けやき坂(六本木6丁目):平成15年六本木ヒルズに新しく作られた全く人工の坂。 |
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なだれ坂(六本木3丁目):流垂、奈太礼、長垂などと書いたそうだ。幸国坂(寺名)、市兵衛坂の別名もあった。 |
うどん坂(六本木6丁目):天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛という、うどん屋があったためついた名。芋洗い坂から分岐 |
さくら坂(六本木6丁目):平成15年六本木ヒルズに新しく作られた全く人工の坂。 |
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青木坂(南麻布4丁目):江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の屋敷があった。 |
木下坂(南麻布5丁目):坂の北側に大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために呼ばれるようになった。 |
新坂(南麻布3丁目):新しく開かれた坂の意味。開かれた時は新しかったのだろうが、明治20年代と思われる。 |
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奴坂(南麻布3丁目):竹ケ谷の谷小坂、薬王坂がなまってやっこう坂、奴が付近に大勢住んでいた坂の三説がある。 |
薬園坂(南麻布3丁目):江戸時代前期、坂上の西に幕府の御薬園があった。なまって役人坂、役員坂とも呼ばれた。 |
衆楽園(釣り堀)
奴坂の中程を左に、本村小学校のプール入り口方向、突きあたりに「衆楽園」という釣り堀があります。 |
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綱坂(三田二丁目):羅城門の鬼退治で有名な平安時代の武士・渡辺綱が付近に生まれたという伝説による。 |
綱の手引坂(三田一丁目):平安時代の勇士源頼光の四天王の一人渡辺綱にまつわる名称。姥坂とも馬場坂との説もある。 |
日向坂(三田一丁目):江戸時代前期、南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。振袖坂とも。 |
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神明坂(三田一丁目):元神明宮天祖神社からオーストラリア大使館方面に上る坂
。 |
◆元神明宮天祖神社
港区三田1-4-74
TEL 03-3451-2493 FAX 03-3451-8929 |
寛弘二年一条天皇の勅命により創建されました。渡辺綱や徳川家から崇敬を受けたと言われています。宮司や氏子崇敬者の祈りにより関東大震災や戦災等多くの災難から逃れて来たため、現在では厄除の社として多くの方々に御参拝頂いております。1994(平成6年)現在の建物に建て替えられました。2005.9月(平成17年)御鎮座壱千年記念行事が行われました。
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蛇坂(三田4-2-20):ケイヨーD2の左側の坂です。「付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像される」とかかれてあります。なんか当たり前な へんな説明?(^^;) |
南部坂(南麻布) 有栖川宮記念公園横の通り、ドイツ大使館、南部坂教会がある。旧南部藩の屋敷があった。 |
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◆番外編・・・坂を写して散歩していてこんなものを見つけました。 |
★ 本村町貝塚 |
採集された資料から縄文時代前期の貝塚だそうです。ハマグリ、サルボウなど海水産の貝殻がみられます。都内の貝塚がほとんど破壊された中で比較的よく原状をとどめた貴重なものだそうです。せっかくの文化財、もう少し丁寧に保存されることを願ってやみません。 |
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★ みんなの鐘 本村小学校の校庭の一角に見つけました。 |
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鐘に刻まれた銘文から、この鐘は昭和二年卯年七月に造られたことがわかります。「武州南多摩郡横山村下長房 玉鳳山長泉寺」 「大正天皇 多摩御陵御造営ニヨリ伽藍移転改築記念」 「為 先祖代々菩提 施主 横山村新地 藤本幸三郎」 等々の文字が見られます。長泉寺は現在も八王子市長房町にあります。八王子のお寺で造られた梵鐘がどのようにして本村小学校の「みんなの鐘」になったのかは、学校にも記録がなくわかりませんが、第二次大戦中多くの寺院が梵鐘を国のために供出されたことから、この梵鐘も戦中戦後の混乱の中で本村小学校にたどり着いたのかもしれませんね。あくまでも私の推測ですが、このみんなの鐘が世界の平和のために鳴り続けるといいですね。 |
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写真提供 DEEP AZABU さん |
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生き物の生活空間 Biotop(ビオトープ)
元麻布三丁目緑地 (宮村池 ビオトープ)
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