店声仁語‐11- ( 2006.1.〜2006.12.)

店声仁語:目次・・・

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ほほえみ      狩野  誠

いそがしいときに
イライラするときに
くやしいときに
不安なときに

 


私はそっと
私にたずねる
あなたはいま
ほほえんでいますか
    ……と

ほほえみ読本

なかなかほほえめない自分がいます。いそがしいときに、イライラするときに、くやしいときに、不安なときに・・・、顔がひきつって、とてもほほえんでなんていられない自分がいます。でも、そんな自分に気がつかない人がほとんどなんです。自分はほほえんでいるつもりで・・・。

 


★「ローリエヤマモトさんもやめるんだって・・・」
 「ホント〜?ウソだろう?」
 「閉店セールの紙が貼ってあった」
 「寂しくなるね・・・」

 誰がこんな噂を流しているのでしょうか、もっぱらのうわさだそうです。先にも書きましたが、張り紙は「都合により連休します」、姉の見舞い、葬儀に三日間店を休んだのがこんな噂になったようです。それにしても閉店セールの張り紙だとか見てきたように話す者がいるんですね。今年もあと四時間、来年もよろしくお願い申し上げます。皆さま、よいお年をお迎え下さい。

2006.12.31.

 


★身内の不幸で年の瀬ですが3日店を休みました。店頭には「都合により連休します」と張り紙しましたが、休みの理由までは書きませんでしたのでいろいろ憶測されたようでした。私の病気を心配してくれた人が多かったのですが、ご近所の白水堂さん閉店の例もあるので「ローリエヤマモトもいよいよ閉店か」と思われた方もいたようです。中には閉店後の店を貸して欲しいと言う人までいたとか、うっかり休めませんね。
 姉が67歳で急逝したのですが、父母が亡くなったときは泣くこともできず葬儀を仕切っていた私ですが、まだまだ若い姉の死は別れの言葉も見つからず「ありがとう」とだけ言うのが精一杯、涙がとまりませんでした。健康が第一ですね。

2006.12.24.

 


★残念なニュースが飛び込んできた。明治20年長崎で創業、麻布十番には大正11年に開業した老舗の「白水堂」が閉店するというのだ。また、大正4年に「ゴザ」の専門店として創業、現在は
「インテリア小野」として90年の歴史のこの店も年内で閉店だそうだ。それぞれに事情があるのだろうが、他人事でなく我がローリエヤマモトも閉店の時期を模索していると言っても過言ではない。長びく不況、流通の変革、街の変化、それに私自身の体調等々いろいろ考えることはあるが、今、閉店を思いとどまらせているのは明治44年創業以来95年の、父から受け継いだ家業への矜恃だろうか。街を取り巻く時代の変化、流れ、考え方の変化がプライドだけではやっていけない時をやがて告げるだろう。その時が、今日だったのか明日なのかの違いとしか言えない。何が景気は回復傾向だ、政治家は何を見ているのか、世襲の政治家に何がわかる、何が出来るのかと八つ当たりしたくなる今日この頃である。

2006.12.14.

 


★「一ヶ月店声仁語書いていないけれど、具合悪いのか・・・」と友人からメール。どこも悪くないし店もヒマで書く時間もあるのだが、歳をとったせいか書くことが億劫になってきたようだ。何事も歳をとったからと逃げてはいけないのだろうが、わが商店街のコンペも皆歳をとったせいかスコアがひどくなってきた。以前は半数以上が100を切っていたのだが、いつの間にか100を切るものが少なくなって先日のコンペでは全員が100以上。情けないスコアではあるが年令を考えるとそうとも言えない。コンペの成績表は今ほとんどのクラブがパソコンで作ってくれるのだが、同ネットの場合は年令順にランクするのでメンバーの生年月日を事前にとどけてある。昨日のコンペも100を切ったのは一人だけ、それでも成績表を作ってくれたクラブの係が「すごいコンペですね」という。何がすごいかと言うと、 36年第356回という回数もさることながら成績表にプリントされた生年月日を見てのことだった。大正生まれの81才を先頭に70代60代、最年少が52才、平均年令65才に驚いたらしい。この年令でこのスコアなら十分なのだろうが、若い頃のスコアを忘れられない自負心が歳をとってもプレーできる若さを支えているのかもしれない。私だけでなく何人かのメンバーが大病を克服して、3 6年も続いているコンペ「麻布十番・元気会」で今日もプレーできることをスコア以上に喜んでいる。 健康であること、幸せですね。

2006.12.6.

 

★この春、母上を亡くしてひとりぼっちで冬を迎えようとしている難病で寝たきりの長野の友人にMail。

パティオ十番の月十一月の月は、3日の十三夜がきれいだと言われますが、今日は満月。中秋の名月でなくてもきれいですよ。

寒くなりましたね。お元気ですか。厳しい信州の冬に向かって、でも、また暖かな春が来るなんてのんきなことは言っていられませんね。

「ひとよりも より多くの風を味わえたんだから しあわせ者 」って言った人がいました。
それなら、
「あなたがその風を味わってみてごらん」と言われそうです。
でも、みんなみんな それぞれに風を味わって、その風に泣き、その風に笑い、その風によろこび、その風に涙して、そして、いつかその風と友だちになれたとき、きっと風の色が見えて、
北風も温かく感じられるのだと、そう信じています。

病気になったとき 「何で、何でこの私が・・・」 と思いました。
パティオ十番の月入院して、手術を受けて 「あぁ 良い先生に めぐり逢えた、良い看護師さんにめぐり逢えた 、
助かった、助けてもらった」 そう思いました。
心配はあります。いつ再発するか、いつも心配しています。
でも 大丈夫。私は大丈夫 とこころに言い聞かせています。

あなたも大丈夫、きっと大丈夫。 だって ひとりじゃない、ひとりじゃないんですよ。
亡くなったお母さんだって、お父さんだって、
おじいちゃんだって おばぁちゃんだって、どこかで、きっと どこかで見ていますよ。
となりのおばさんもおじさんも、町の子どもたちも みんな みんな、
みんな みんな、あなたを見ている、温かくあたたかく見守っているんですよ。

まだ 会ったことのない私も、あなたに負けないように、私は大丈夫だと信じる力を、
まだ 会ったことのない あなたからもらって・・・。

もうすぐ厳しい冬ですね。
でも もうすぐ もうすぐ もうすぐ 暖かな春が来ますよ。
月を見ていると その動きの早さに驚きます。
自然ってすごいですね。
自然ってすごいですよ。

仁生

2006.11.5.

★今朝、Reメールが届きました。

 「ありがとう」
 励ましありがとうございます。

 今、起きました、また いつもの毎日が始まりました。
 今朝は暖かい(温かい)気がします。
--------------------------   信州千曲川:落合橋sideから

2006.11.6.

 


★「山本さん、絵はがき買いに来ましたよ〜!」 と元気な声と一緒にぞろぞろとおばさん、おじさんが店に入ってきました。
  「わたしも1部」 「わたしも・・・」 と手が、手が、手が、100円玉を持った手が並んで、
  「ちょっと待って下さい」
 NHK文化センター主催の「東京・下町歩き」に参加された方々25名が講師の高橋美江さんに連れられて、「きみちゃん」のチャリティー絵はがきを買いに寄ってくれたのです。下見に来た高橋さんに赤い靴の女の子「きみちゃん」と麻布十番のことを話したのは、もう一月も前だったので忘れかけていた時のことでした。少しでもチャリティーの足しにと手作りで絵はがきを作っていることを、高橋さんが参加の皆さんに話したのでしょう、全員がチャリティーに協力して下さったのです。パソコンで作る拙い絵はがきですが、作り置きが少なかったので最後のひとりには 「ゴメンなさい、品切れです。今度はたくさん作っておきますから」 と申し訳なくうれしいお断りでした。
 私の手作りではなく、本当は商店街が制作に協力してくれればいいのですが、なかなか理解してもらえません。不徳の致すところというには、少し情けない思いさえします。まぁ、いつかわかってもらえるかな、そんな思いでもうしばらく手作りの絵はがきをコツコツと作り続けましょう、子どもたちのために。今日も大勢の方々がきみちゃんの前でリーダーの説明に耳を傾け、記念写真を撮っていました。そうそう、赤い靴の女の子の像は今、横浜、日本平、麻布十番、留寿都と4つありますが、今度、青森の鰺ヶ沢町と札幌にも出来ることになりました。大勢の人々に母と子の、親と子の愛の絆を語り続けてくれることでしょうとうれしく思う今日この頃でした。

2006.10.30.

 


★開店前、店頭の掃除と花壇の水やり。拡幅された広い歩道、間口の広い角店なので掃きでがある。喫煙家のマナーの悪さ、タバコの吸い殻の何と多いことか。もう一つマナーの悪いのが愛犬家、犬の糞とところかまわずのオシッコの跡。マナーよろしく糞を拾ってビニール袋に入れたまではいいのだが、その糞入りの袋を花壇の中に捨てていく心境がわからない。涼しくなって花壇の水やりも楽になったが、歩道に作られた花壇は夏にはかなり水をやらないと花がかわいそう。もう夏の花は終わりに近く、秋冬の花を植えてやらなくてはと思うのだが、区が管理のこの花壇も予算が云々となかなか植え替えてくれない。しかたなく小遣いを割いて花を植えるのだが、今朝は植えたばかりのその花壇に足跡が二つ三つ。情けない限りである。掃除をしながら、こう考えた。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。あれっ、盗作だ。 ふと気がつくと、「あっ、M.Sさん」。「おはようございます」と声をかけようと思ったが、何となく顔をそらして行くような様子。起き抜けのスッピンらしい。 スッピンでも素敵な女なんですが、やはり声をかけるのをやめた今朝の掃除でした。

2006.10.19.

 


★朝、店を開けるとすぐに穏やかにほほえみながら年配の夫婦が店に入ってきました。
 「いらっしゃいませ」 といつものように迎える。
 「きみちゃんの絵はがきをいただきたいのですが・・・」 と、お客でないことをすまなそうに言う。
すまないどころではない、私の手作りの絵はがきですからうれしい気持ちがいっぱい。
 「ありがとうございます、2枚セットで100円です。ユニセフに寄付しています」
箱から絵はがきをとりだして2枚の絵を見せると、
 「それじゃ4組下さい」 とやさしいほほえみがかえってきた。
 「北海道から来ました、札幌から」
 「遠くからありがとうございます。北海道ですか、先月北海道新聞がきみちゃんのことを書いてくれました」
 「その新聞を見てわざわざ見に来ました、わざわざってことはないですね」 とまたほほえむ。

 北海道新聞がきみちゃんのことを書いてくれたのは9月20日〜22日、三日連載で「赤い靴の物語−上−親子のきずな」 「−中− それぞれの少女像」 「−下−  歌い継ぐ」。その「上」に麻布十番のきみちゃんのことが写真と共に書かれていた。記者は社会部の藤田香織里さん。東京、横浜、静岡、そして北海道の赤い靴の女の子の像を訪ね、それぞれに思いを寄せる方々に取材をし、雨情の生家のある磯原にも雨情の孫、野口不二子さんを訪ねている。麻布十番の納涼まつりでチャリティーを長年手伝ってくださった作曲家の横山太郎さんにも取材している。三ヶ月もの時間をかけて取材した記事は温かく多くの方々の心を動かしたことだろう。そうして今日わざわざ北海道からきみちゃんに会いに来られた老夫婦のようなやさしいほほえみの輪を広げているのだろう。
 「子どもたちのためにお預かりします、ユニセフに寄付させていただきます。」 と私もまたうれしくこころからほほえんだ朝でした。

200610.2.

 


年中夢求年中夢中★「鹿児島県大口市山野の農業、井手口正さん(58)の水田に「2006 年中夢求」のカラー文字が出現した。地域アピールになればと6年前から続けている。」   asahi.com 9.22.から

いいですね、きっと美味しいお米が出来ますね。楽しい夢が見られそう・・・。

ちょっとアレンジしてみました。
(写真拡大)  

2006.9.22.

 


★ 敬老の日、「65歳以上のお年寄りは・・・」 「65歳以上の高齢者は・・・」 とテレビや新聞が報じている。そうか、64歳までは普通で、65歳以上は高齢者、お年寄りかとがっくりしている小生、来月その節目の誕生日を迎える。もっとも童謡「船頭さん」では、『村の渡し(わたし)の船頭さんは 今年六十の お爺さん(おじいさん)』 と60才でおじいさんといわれ、映画館では60才で入場料が1000円に割り引かれる。高齢者、お年寄りの言葉に惑わされることなく、三度目の成人式、三度目の青春を謳歌するつもりで歳を見つめる今日この頃である。

2006.9.18.

 


★ 親王さまのお名前「悠仁さま」が発表されてちょっとびっくりしました。たまたま昨日が誕生日の息子の名前が「悠貴・ゆうき」、そして私の名前は「仁壽・きみとし」、二人合わせたお名前でした。さっそく友人から電話、メールがありました。
悠仁さまのお健やかなご成長をこころからお祈りいたします。

2006.9.13.

 

クロアゲハ★ 9月8日、二十四節気 「白露」。「陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也」 (暦便覧) 。朝夕に秋の気配が感じられるこのごろです。夏の間きれいに咲いていた花壇の花もだいぶ疲れてきたようですが、それでも小さな蝶や蜂がときどき飛んできます。今日は珍客到来、思わずカメラをもって飛び出しました。「クロアゲハ」です。どこから飛んできたのか、仲間はいるのだろうか、どこに行くんだろうとシャッターを切りました。都会の真ん中の小さな花壇ですが、よく見ているといろいろな虫が集まってきます。その花壇に心なくタバコの吸い殻を投げ捨てる人、空き缶、ペットボトルも、中には犬の糞まで、どんな心境なのでしょうか。夕方になると草陰から秋の虫の声が聞こえてきます。

2006.9.7.


★ 河北新報 8月6日(日曜日)より

遺影前に追悼歌 明大グリークラブOBら演奏会 “マドンナ”13回忌 しのぶ    仙台

グリークラブOB 32年にわたって 明治大学の男声合唱団「グリークラブ」のマドンナと慕われ、1994年に亡くなった白石市出身の高橋智子さんをしのぶ演奏会が5日、仙台市太白区の区文化センターで開かれた。全国から集まったOB約100人を含め、約290人が追悼の歌声に聴き入った。
 高橋さんは家庭に不幸があり、小学校卒業後に親類を頼って上京。中学卒業後、明大駿河台校舎(東京)近くの喫茶店で働き始めた。以来、クラブの学生たちの面倒を見続けたが、94年、53歳で亡くなった。13回忌に合わせた演奏会は4部構成。宮城県在住のOBも参加する混声合唱団「ローゼン・シュタット・コール」と共演した。
 OBによる追悼ステージは、高橋さんの遺影を前に、ファンだった石原裕次郎の「二人の世界」など3曲を披露した。曲の合間には、メンバーが感謝の気持ちや思い出を遺影に語りかけた。
 OB会東北支部長の千葉勝彦さん(60)は「世代によって姉であり、妹であり、母であった高橋さんの存在の大きさを、あらためて感じた」と故人をしのんだ。
 OBらは6日、仙台市内にある高橋さんの菩提(ぼだい)寺を訪れ、墓参りする。

(写真は高橋さんの遺影を前に、追悼の歌を披露する明大グリークラブOB 河北新報 8/6より)

★ 智子が逝って13年、追悼のステージに立つOBも歳をとった。それでも歌声は学生時代のままに、思い出の中にそれぞれの想いの智子がいる。13年前の夏、全国から240名のOBがかけつけ智子を見送った。今年も仙台に90名のOBが集まり智子を偲んだ。
 わたしはOB会の皆に少し遅れて、ひとり仙台郊外の北山霊園のお墓を訪ねた。 「智子、もう13年か、早いなぁ。俺はまだ逝かないよ、まだ呼ぶなよ。息子、悠貴もまだまだ 、もう少しやりたいこともある、まだ逝かないよ」。この日も暑い夏の陽 が照りつけていた。8月15日、智子が逝って13年になる。  (店声仁語−4 に智子のこと)

2006.8.12.

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★ 夏にショックなこと2つ
 *我が家の体重計、体重の他に体脂肪率や内臓脂肪レベル表示、基礎代謝表示、体年令表示等が表示されるのだが、今まで実年令よりけっこう若く表示されていた体年令表示が、いきなり3才もアップして表示された。体脂肪率が増えたからだろうか、何だかこの体重計が急に信用できなくなりとりあえず電池を取り換えてみたが、体年令表示は変わらなかった。
ショック!

 *所用でJR山手線に乗った。ちょっと大きめの荷物は持っていたが、それほど重いわけでもなくごく普通につり革を持った。と、前に座っていた若い外人が立ち上がって流ちょうな日本語で「どうぞおかけ下さい」。若いつもりでいたが席を譲られる歳に見られるのかと、ショック!

2006.8.7.

 


★ 商店街のお店の写真を撮っていて看板のローマ字が気になった。間違いではないだろうかと思うのだが、けっこう名の知られたお店が2社も同じ綴りを使っていると自信がなくなってしまう。そう言えば同じミスを以前商店街の宣伝部が広告用の旗に使って、すぐにプリントし直したことがあったのだが、他社のことだと直してくれともいえない。「麻布十番」の「十番」をローマ字でどう書くかなのだが、一般的にはヘボン式の「JUBAN」を使っているのがほとんどで、たまに訓令式の「ZYUBAN」を見ることもある。今回見つけたのはヘボン式と訓令式をミックスしたような「JYUBAN」というので、やはりこれは間違いではないだろうか。ローマ字にはヘボン式、訓令式の他にも日本式、99式とかあるようだが、どれを見ても「JYUBAN」はない。いろいろあるかもしれないが、今一般的にパスポートでも使われているヘボン式の「JUBAN」が一番なじんでいるように思う 。狭い「麻布十番」だが、名の知られた「麻布十番」でもある。「Azabu Juban」に統一してもらいたいものだが、こんな提案をすると「いいじゃないかどっちだって、小さなこと」と返ってくるだろう今の○員。本当はとても大事なことなんですが・・・。

2006.7.16.

 


★ ニュースを見ていた。オシム監督の話、「日本人の特徴を生かせる選手を集めてサッカーをすべきだ」 「4強が出そろったけれど4強にもないものがある。逆に日本にしかない良いものもある」。 背の高さや体格など補えない部分があるのは事実だが、日本の欠点よりも協調性や勤勉さなど長所に目を向け、日本人の特徴を生かした独自のサッカーを積み上げていくべきだと言う。サッカーだけではないすべてに通じる言葉だと思った。「日本・日本人」を「自分」に置き換え、「サッカー」を「仕事・勉強」に置き換えれば、「自分にしかない良さを、特徴を生かし、独自の仕事・勉強を積み上げていくべきだ」と、息子に話しを向けてみる。「巻 誠一郎はジダンにはなれないけれど、巻にはジダンにないものがある。それを伸ばしていけばいい」と。ジョーク好きの息子曰く 「ジダンになくて巻にあるもの、あぁ髪の毛?」ときた。「バカもん、それじゃロナウジーニョになくてでもいい」。「ロナウジーニョかぁ、じゃぁ顔で勝ってる」。 んもぉ、ああ言えばこう言う・・・(-_-;)

2006.7.3.

 


★ 「43歳 クレメンス、146キロで復帰」 のスポーツ面、もちろんMLB アストロズのロジャー・クレメンス投手のツインズ戦での復帰先発の記事です。1球目、時速 91マイル(約146キロ)が外角低めに決まる。それだけで満員の球場がわく。この紙面のタイトルを見て家内曰く、

「クレメンスってずいぶん太っちゃって大丈夫なのかしら」
「そんなに太っていないだろう」
「146キロよ」
「・・・?」

ロジャー・クレメンス、サイ・ヤング賞7度、過去通算341勝の43歳、頑張れ〜。
中田英寿、29歳 まだ若い、ガンバレ〜。

2006.6.24.

 


★政治・宗教からみのことは書かない主義だが、日本銀行の福井俊彦総裁にはいささか?である。「運用益はあまり大した額ではない」と言う金額が元本1千万円、結果的に2473万円では、庶民 感覚とかけ離れている。 「運用残高はよく分からない」と言う答弁、一国の金融のトップが自分の財布の中身も知らないはずがない。終いには「ド素人で恥ずかしいが、よく認識していなかった」と答えるに至っては何を寝ぼけたことを言っているのかである。そんな答弁を許す政治家もまた許されないのではないだろうか。 答弁を許すどころか、彼は世界の中央銀行でも総裁として有能な存在であり、このようなことで辞職するのは云々とかばう政治家さえいるのが情けない。もっと有能で清廉潔白の人材が清廉潔白だからこそ埋もれているのではないだろうか。とちょっと政治色が入ったコラム の今日この頃である。

2006.6.23.

 


泰山木の花★運動不足解消に朝の散歩をはじめて3週間ほどになります。店を開けるのは10時30分ですから、朝は比較的時間に余裕があるのですが元来の朝寝坊、ついつい寝ていた方がと。思い立ってはじめた散歩ですが土日はお休み、今日は降りそうだからお休みと言い訳をしながらそれでも三日坊主に終わらないで続けています。カメラを肩に30分〜40分ほど歩くのですが、かなり遠くまで行けるものですね。ちょっと横道に入ってみると、ここにこんなものがと驚く発見があります。昨日は南麻布で大きな白い花の木を見つけました。10mもの高さの大木に直径20cm位はあるかなと思われる大きな花。「♪この木 何の木 気になる木」、写真を撮ってきて調べてみました。
 「タイサンボク」、(泰山木、大山木)でした。木蓮(もくれん)科、学名 Magnolia grandiflora 。開花時期は、 6〜7月頃、なんとなく梅雨空に似合う花ですね。アメリカの東南部原産で明治初期に日本へ渡来、成長が早くて、高さは10〜20メートルになるそうです。 英名は Southern magnolia, Bull bay。またひとつ勉強になりました。朝の散歩、しばらく続けてみることにします。

2006.6.16.

 


★お買い物の人や学校帰り、会社帰りの人たちが行き交う夕方の街、何気なく外を見ると向かいの店先の歩道で年配の男性と女学生が腰をかがめるようにして地面を見ている。何をしているのかな、と、女の子がスカートを そっと振ってまた下を見ている。あっ、コンタクトレンズを落としたんだ。通りすぎる人もそれと気づいてはいるのだろうが手伝わずに行ってしまう。老眼でそんなに目が良いわけではないが、ちょっと見かねて店を留守にして行ってみた。「コンタクト レンズ落としたんだね」と声をかけ、ふと歩道を見ると青く光 る小さな円が目に入った。まるで10mも離れた店から見つけたように、すぐに小さなレンズを拾って、「ほら、これだろう、洗ってきてあげる」。魔法にかかったようにきょとんとして見ている女の子と手伝っていたおじさんでした。どうしてあんなに簡単に見つかったのだろう、きっと手伝ってくれた見ず知らずのおじさんへのご褒美かななんてメルヘンな思いで店に戻りました。

2006.5.29.

 


搭乗券★「事実は小説より奇なり」言葉通りの奇遇でした。「きみちゃんの絵はがきください」と店に入ってきた白髪の紳士、「広島からきみちゃんを見に来たんだよ、物好きだろう」と言いながら、カバンから十番の地図を出しました。「その地図、私のサイトのですね」。うれしいものです、このサイト「麻布十番未知案内」の中から地図をプリントアウトして広島から来て下さったのですから。「お昼これからなんだけど、どこか美味しいお店を教えてくれないか」という紳士に、いくつかのお店を教えました。帰りかけた紳士に「ちょっと待って下さい」と声をかけ、12日の読売新聞夕刊を取りに戻って、「帰り読んでください、きみちゃんのチャリティーのことが載っていますから」  「ありがとう、リタイアして名刺を持っていないんだけれど・・・」と乗ってきたJAL搭乗券の半券の名前を見せながら、「オオスミ マサアキと言います。NHK深夜便で赤い靴の話を聞いてね、是非と思って来てしまいました」  「広島ですよね、オオスミさん。私の学生時代の先輩で広島に大角さん・・・」 「・・・  」 「・・・明治大学グリークラブか・・・ 」 「先輩?」 「山本・・・仁?」。卒業以来四十何年ぶりだろうか、まさに奇遇というかきみちゃんが連れてきてくれた不思議というか、学生時代の先輩との再会でした。NHK深夜便を聞き流していたら、呼び止めて読売新聞を読んでもらおうと思わなかったら 、それきりだったでしょう。ふとした思いが懐かしい再会になりました。きみちゃん、ありがとう です。

2006.5.19.

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★まさにインターネントの時代ですね、読売新聞12日夕刊 「きみちゃんのチャリティー」の記事はYOMIURI ONLINEで流れただけでなく YahooニュースやGooニュース、Googleニュース、Livedoorニュースなど多くのメディアで配信され大勢の方々が目にされたようです。中でもYahooニュースはきみちゃんの詳しい情報としてこのサイトのきみちゃんのページにリンクを貼っていました。リンクの貼ってあった12日23:00〜13日10:00までの10時間、夜間でしたがこのページには約30000のアクセスがあり驚いています。読売新聞は関東版だったのでしょうか、それだけでも大勢の方々がきみちゃんのお話を、チャリティーを知ったことと思いますが、ネットは日本だけでなく世界で同じニュースを見ている人がいるのですから、その影響は計り知れないものがありますね。BBSにアメリカでYahoo Japanのニュースを読んだ方の書き込みがありました。麻布十番未知案内も英語版を作らなくては・・・。小生英語はからきしダメ、当分Japanese Onlyで我慢してください。

2006.5.17.

 


赤い靴★4月17日、きみちゃんのチャリティーの累計が1000万円になったことを、今日5月12日の読売新聞が夕刊三面で大きく紹介して下さいました。何よりもきみちゃんを見に来てくださった大勢の方々、チャリティーにご協力下さった大勢の方々に、17年かかりましたがみなさまからお預かりした大切な浄財はこどもたちのために間違いなく役立っていますよと伝えることが出来たことをよろこんでいます。思いもよらず大きな写真にびっくりでした。  17年前は私もまだ髪も黒々ふさふさだった、64才という歳もばれてしまったかと少しばかり気恥ずかしい思いもありますが、これも子どもたちのためだと・・・。1000万円は通過点です。これからも世界の恵まれない子どもたちのために少しでもお手伝いが出来ればと思っています。ありがとうございました。

2006.5.12.

 


★大腸のレントゲンフィルムの異常なふくらみを見て医師が口を切る前に 「先生、これ癌ですか」と私の方から尋ねたのはちょうど3年前の今頃だった。「そこを執ればいいんでしょう」と他人事のように言う私に、医師は「かなり進行性の癌です。執ればいいんですが・・・」。連休は手術も出来ないだろうから、連休明けに入院して手術することに決め手続きをして帰ってきた。
 6時間あまりの手術、1ヶ月の入院、退院後も抗ガン剤を飲み、毎月血液検査や診断を受けてきた。一年に一度はCT かMRI、エコー、胃カメラ、腸の内視鏡、腫瘍マーカー検査等を受け、今回が三度目の大きな検査だった。そして検査結果、予約の時間はとうに過ぎているのに名前が呼ばれない。後から来た人が先に呼ばれたりすると、もしかして最後に回され何か悪い結果でもあるのではと余計なことを考える。予約の時間から一時間も過ぎて やっと名前を呼ばれ診察室に入った。
 モニターには血液検査の数値表が、デスクにはCTのフィルムが、カルテには胃と大腸の内視鏡写真、エコーの写真が並べられている。「血液検査、異常ありませんね。CTも異常なし 大丈夫です。胃は軽い炎症がありますが大丈夫でしょう」。「大腸、ここが手術でつないだところです。きれいについているでしょう。今回はポリープもありませんでしたね」。「エコー、少し脂肪肝っぽいです ね。運動不足かな、運動をしてください。毎日30分くらい歩くと いい。胆のうに少し砂状のもの、胆石まではいっていませんから少し薬を出しておきましょう」。「そう、薬、2ヶ月分出しましょう、今度から毎月でなくて二ヶ月毎でいいでしょう」。
 ほっとしました。本当にホッとしました。あまりうれしくてカルテをもらわずに帰りかけたくらいでした。会計を済ませ薬を待つ時間もなぜか口元がほころぶような感じで、足どりも軽く帰ってきました。手術から三年、まだ完全にクリアしたわけではありませんが、一年ごとにホッとする思いが大きくなってあらためて健康のよろこびを感じている今日この頃です。皆さんもお身体くれぐれもお気をつけ下さい。

2006.4.26.

 


★赤い靴の女の子「きみちゃん」のチャリティーユニセフへの寄付が累計1000万円になりました。赤い靴の女の子「きみちゃん」のチャリティーが始まって18年になります。平成元年2月28日、雨の降る火曜日でした。赤い靴の女の子「きみちゃん」の小さな像が彫刻家佐々木至さんの手でパティオ十番に建てられました。火曜日で定休のお店が多く人通りの少ない日でした。 うれしくて何度となく傘を差してきみちゃんを見に行きました。夕方、きみちゃんの足下に小銭が置かれているのに気がつきました。数えてみると18円。これがきみちゃんのチャリティーの始まりでした。あれから18年、4月17日今年も50万円をユニセフに送ることが出来ました。これまでのチャリティーの総額は、阪神大震災義捐金に70万円、スマトラ大震災・津波の義捐金として60万円を含め、累計1000万円になりました。皆さまの温かいご支援に心からお礼申し上げます。
 野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルだった「きみちゃん」は、実は横浜の波止場から船に乗れませんでした。不治の病のため麻布十番にあった孤児院に預けられ、明治44年9月9才の短い生涯を閉じています。きみちゃんのような不幸を繰り返さないように、母と子の愛の絆を願って創られた「きみちゃん」の像に託されたチャリティーは、世界の子どもたちのために毎年ユニセフに送られてきましたが、今春1000万円という大きな節目を迎えることが出来ました。1円5円10円という小さなお金の、しかしとてもきれいな貴重なお金の積み重ねが17年か赤い靴かって達成できた大きな金額です。大勢の方々に知っていただき たい思いでいっぱいです。
 この1000万円で終わりではなく、これからも世界の子どもたちのために「きみちゃんのチャリティー」は続けていかなければならないと思っています。これからもよろしくご協力下さいますようお願い申し上げます。

2006.4.17.

 


★今日4月13日は啄木忌。1912年4月13日にわずか26才でなくなった石川啄木は、麻布十番の赤い靴の女の子「きみちゃん」とも小さな縁を持っていることをご存知でしょうか。啄木は明治41年わずかな期間ですが小樽日報という新聞社に勤めています。そこに赤い靴の作詞者野口雨情ときみちゃんの義父鈴木志郎も勤めていたのです。
 鈴木志郎ときみちゃんの母かよは平民農場での開拓に失敗し、札幌にもどって北鳴新報という新聞社に入社、そこで野口雨情と知り合います。志郎と雨情は、同世代、子どもひとりという家族構成もあって親しくなり、一軒の家を借りて8円の家賃を分け合って共同生活を送ります。雨情はかよ夫妻から手放した娘きみちゃんの話しを聞き、後に童謡「赤い靴」が生まれるのです。その志郎と雨情は新しく旗揚げされた小樽日報に入社するのですが、そこで石川啄木が一緒だったというわけです。    鈴木志郎と野口雨情、石川啄木の三人が一緒に勤めたのはわずかな期間ですが、啄木は「悲しき玩具」の中でこう歌っています。

   名は何と言いけむ。
   姓は鈴木なりき。
   今はどうして何処にゐるらむ。

 この鈴木が志郎のことです。石川啄木 1886年2月20日生まれ〜1912年4月13日没。今年は啄木生誕120周年、そして今日が啄木忌です。人と人との縁の不思議をあらためて感じています。

2006.4.13.

 


★4月、進学、就職で新しい環境に戸惑いながらも一歩を踏み出した人たちも多いことでしょう。介護士としてスタートした友人の娘さんMちゃん、小さいときからMちゃんと呼んでいましたが、もう22才ですからMさんですね。そのMさん、はじめて勤めたその日は帰ってくると 「今日は七回もこの仕事やめようと思った」と言ったそうです。やめようと思った回数が少しずつへって、一週間たったときにはじめて 「今日は一度もやめようと思わなかった」と笑顔で帰ってきたと友人が笑っていました。介護という大切な仕事、立派に努めてもらいたいと幼い日のMちゃんを思いながら祈っています。

2006.4.10.

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★だいぶ前(店声仁語−7)にメジャーリーグのダッグアウトが汚いと書いたことがあったのだが、今回のWBCでイチローのコメントが同じ思いを言っていたのが面白かった。「日本の野球がメジャーリーグに伝えることはありますか?」との記者の質問に「ダッグアウトをきれいにした方がいい」と答えたというのである。TVで見るメジャーリーグのダッグアウトは紙コップが散らかっている、うがいのあとところかまわず吐き捨てる等々きたならしい限りで、イチローはじめ日本人のメジャーリーガーも郷に入らば郷に従えで、同じようにやっているのかと心配?していたが、イチローの言葉にホッとした思いだった。松井や井口が参加していたら、また違った試合内容だったかもしれないが、その井口を見ながらゴルフの宮里 藍にどこか似ていると思ったとのですが、藍ちゃんに怒られるかな。でも、何となく角度によって似ていると思いませんか。 o(^-^)o

2006.3.23.

 

朝日新聞
★3月16日(木)朝日新聞夕刊のマリオンのページ「ストリートストーリー」は麻布十番の雑式通りを取り上げ、その中で赤い靴の女の子「きみちゃん」 とチャリティーのことを紹介して下さいました。
昨年末12月22日(木)の毎日新聞では夕刊のコラム「憂楽帳」がやはりきみちゃんのことを取り上げています。2月28日(火)世界日報はコラム「上昇気流」できみちゃんとチャリティーのことを書き、18年前この日、平成元年2月28日はきみちゃんの像が完成した日、そしてチャリティーが始まった日ですと紹介していました。
大勢のみなさまにきみちゃんとチャリティーのことを知っていただく機会、うれしいですね。

 写真をクリックすると拡大記事が見られます。

2006.3.17.

 


★伊豆河津町の河津桜は今が満開、まもなくあちこちから桜たよりが届く季節になりました。残念ながら我が家では今年は桜が咲きませんでした。それでも、曲がりなりにも前向きに船出したことを良しとポジティブに受けとめています。長い人生1年や2年の浪人は本人の自覚次第で良い肥やしになるだろうと思うのですが、あくまでも本人の自覚次第、親としてはやはり辛いところがあります。まぁ、咲かない桜はないですから、遅咲きにせよきっと咲くだろうと見守ってやります。時々水やりを忘れないように・・・。

2006.3.5.

 


★向学心旺盛というか趣味多彩というか、今度はフルートの練習を始めた家内。ドアを閉めて自分の部屋で吹いているのだが、狭い家のことどこにいても聞こえてくる。落語に「寝床」というのがあるが、ご存知でしょうか。店の者、ご近所、店子を集めて義太夫を聞かせる旦那さんの話だが、まさに寝床のフルートなどと言ったら家内に怒られるかな。
 息子との会話

「お母さんのフルート、けっこうキツイね」
「まぁね」
「本人は何ともないのかなぁ」
「フグみたいなもんだよ」
「ン!そうか」

2006.2.15.

 


★Asahi.comの記事 『米冒険家スティーブ・フォセット氏が11日、無着陸・無給油による世界最長飛行記録を樹立し、ボーンマスの空港に着陸した。フォセット氏は
地球約1周と4分の1、4万2467キロを76時間45分かけて飛行し・・・(時事) 』
この記事、変だと思いませんか。地球の外周は40000キロと言うことは小学生だって知っていますよね。1周と4分の1だと5万キロ。2467キロは約4分の1のまた4分の1、約16分の1。時事の配信をマル写ししたのかよくあることですがイライラ。
 1mという長さは、もともとは北極からパリを通り赤道までの距離の1000万分の1と決められたもの(メートル法のはじまり)だから、北極〜赤道の距離は1000万m、つまり1万Km。これは地球全周の4分の1だから、全周は4万Km。今では1mの定義も変わってしまったし、地球自体が完全な球ではないから正確に4万Kmではないが、全周約4万Kmであることくらい、朝日の記者なら知っていて欲しい。

2006.2.12.

 


★2月、今日から中学受験、雪にこそなりませんでしたが朝から冷たい雨が降っています。7年前の息子の受験日を思い出していました。受験校のグラウンドの崖下に、我が家の菩提寺があります。普段無信心な私ですが、その時は本当にすがる思いで父母のお墓にお参りしたのでした。墓前に手を合わせ、どれぐらいの時間たたずんでいたのでしょうか、家に戻り息子の帰りを待つ時間のながかったこと。
「お帰り。どうだった。」
「半分かな・・・」
「・・・・・・。」
 意識して明るくふるまおうとする夕食のとき、
「お父さん、お墓参りしていたでしょう。」
「どうして?」
「お昼休みにグラウンドにでてみたんだ。家のお寺、見えるかなって。そしたら、」
「見られたか」
 親のお墓参りの姿を見て午後のテストを頑張ったのか、第一希望のその学校に合格することが出来ました。あれから7年、今度は本人の自覚としか言いようのない大学受験です、やはり親バカの思いは変わらない心配をしています。

2006.2.1.

 


★朝から雪です。
 センター試験、ホカロンを三つ貼って背を丸くして出て行った息子、浪人生。
 祈る思いで見送りました。
 帰るまで、心のどこかで、困ったときの神頼み。
 それしかできない親バカをしています。

2006.1.21.

 


★「いらっしゃいませ」
 お客様と思って声をかけました。
 「少しなんですけど、きみちゃんのチャリティーに」
 と、紙袋を差し出してお名前を聞くまもなく出て行かれた若い女性。背中に向かって
 「ありがとうございます、大切にお預かりいたします」

年末の毎日新聞のコラム「憂楽帳」を読まれた方か、毎年納涼まつりのチャリティーに届けて下さっていた方か、とっさのことにお名前を聞きそびれてしまったがうれしい限りでした。もしこのコラムに目をとめられましたら、心からお礼申し上げます、「ありがとうございます」。世界の子どもたちのために、赤い靴の女の子「きみちゃん」のチャリティーは続けていかなければと改めてこころに誓う今日でした。本当にありがとうございました。

2006.1.13.

 


★また一つ歳を取ったというのは古いのだろうか。今は満年齢が普通だから、正月に歳を取ったとは言わないで 「今年は何歳になる」という言い方をするのだろう。三度目の成人式を迎えましたと書いてきた還暦を迎える友人がいた。若々しく、何もわからずあわただしく過ぎた初めての成人式、二度目の成人式は不惑、誰もが仕事に追われて過ごした だろう。そして還暦は三度目の成人式、仕事から解放され悠々自適の日を迎えられる方も多いことだろう。今まで出来なかったこと、やりたかったことが出来る、或いは充電期間と称してのんびり と自分の時間を持つ三度目の成人式、これからが青春なのかもしれませんね。同い年なのに歳以上に老けて見える人がいる、若々しく10才も若く見える人がいる、どこでそんに差が付くのだろう。「色気」という言葉は適当ではないかもしれないが、ある意味「色気」が若さの秘けつではないだろうか。仕事を離れてもいわば人世の仕事はいくらでもある。その仕事への色気、主義主張、精神的な色気、お洒落もまた色気、様々な色気は覇気として若さを保つのかもしれない。もちろん本来の色気も忘れてはならないのだろう。幾つになっても恋をしていますという人、人を好きになることもまた若さなのかもしれない。人嫌いになり、お洒落もしなくなり、覇気をなくし歳よりじみてゆく、そんな三度目の成人式ではなく、お洒落をして恋をして元気はつらつ三度目の青春を謳歌したい 、何よりも生きることへの色気を持ち続けたい、そんな思いで新年を迎えた私はとうに還暦を過ぎていますが、みなさまの新年はいかがですか。

2006.1.6.

 

  
今年もよろしくお願い申し上げます。
みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
2006.元旦
 

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