◇ 野口雨情 こころの詩 ◇
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◆ 赤い靴 目次 ◆・・・ Select... ・きみちゃんのお話 ・七つの像 ・はじめは18円でした ・野口雨情 ・赤い靴歌詞 ・チャリティーについて ・きみちゃんの赤い靴 楽譜 ・小学生用 ・ENGLISH ・ユニセフから感謝状
野口雨情の作詞した童謡や民謡は驚くほどたくさんあります。最近童謡が歌われなくなっているようですが、それでも雨情の童謡は一度は口ずさんだことのある曲が何曲かあると思います。思いついた雨情の歌を載せてみました。歌ってみて下さい。
1) 雨降りお月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで傘(からかさ) さしてゆく 傘ないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬にゆられて 濡れてゆく
2) いそがにゃお馬よ 夜が明ける 手綱の下から ちょいと見たりゃ お袖でお顔を 隠してる お袖は濡れても 干しゃ乾く 雨降りお月さん 雲の蔭 お馬にゆられて 濡れてゆく
1925 (大正14年) 「コドモノクニ」に発表 作曲 中山晋平
◆ 1925(大正14年)「コドモノクニ」に発表されたこの曲は、1番の歌詞は1月号に「雨降りお月さん」として、2番の歌詞は3月号に「雲の蔭」と題して発表されました。中山晋平の曲は1番と2番と微妙に違っています。
十五夜お月さん 十五夜 お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇(いとま) とりました 十五夜 お月さん 妹は 田舎へ貰られて (もられて) ゆきました
十五夜お月さん
十五夜 お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇(いとま) とりました
十五夜 お月さん 妹は 田舎へ貰られて (もられて) ゆきました
十五夜 お月さん 母さんに も一度 わたしは 逢いたいな
1920(大正9年) 「金の船」 作曲 本居長世
しゃぼん玉 しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ
しゃぼん玉
しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ
しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ
1922(大正11) 「金の塔」 作曲 中山晋平
★ 雨情は明治41年3月、ひろ夫人との間に長女をもうけますが、生後わずか7日で亡くなっています。この「しゃぼん玉」は亡くなった子どもへの鎮魂歌と言われていますが、さだかではありません。しかし、生まれてすぐにこわれて消えた・・・をそう感じるのは歌う人のこころでしょうか。
証城寺の狸囃子
証 証 証城寺 証城寺の庭は ツ ツ 月夜だ みんな出て 来い来い来い 己等(おいら)の友達ア ぽんぽこぽんのぽん
負けるな 負けるな 和尚さんに負けるな 来い 来い 来い 来い来い来い みんな出て 来い来い来い
証 証 証城寺 証城寺の萩は ツ ツ 月夜に花盛り 己等 (おいら)は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん
1924(大正13年)「金の星」 作曲 中山晋平
■ 青い眼の人形 青い眼をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド 日本の港へ ついたとき 一杯涙を うかべてた
■ 青い眼の人形
青い眼をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド
日本の港へ ついたとき 一杯涙を うかべてた
「わたしは言葉が わからない 迷子になったら なんとせう」
やさしい日本の 嬢ちゃんよ 仲良く遊んで やっとくれ
1921(大正10年) 「金の船」 作曲 本居長世
■ 本居長世(1885〜1945) 東京都生まれ 。 1908(明治41年)東京音楽学校本科卒業。1910〜16、同校助教授として後進の指導にあたる。 「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」 「青い眼の人形」など優れた童謡を数多く残すとともに、娘のみどり、若葉を連れて全国公演演奏旅行を行い、童謡の全盛期を築いた。 長女みどり、次女貴美子、三女若葉の三姉妹の演奏は童謡を全国に広めるのに大きな貢献となりました。
■ 本居長世(1885〜1945) 東京都生まれ 。
1908(明治41年)東京音楽学校本科卒業。1910〜16、同校助教授として後進の指導にあたる。 「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」 「青い眼の人形」など優れた童謡を数多く残すとともに、娘のみどり、若葉を連れて全国公演演奏旅行を行い、童謡の全盛期を築いた。 長女みどり、次女貴美子、三女若葉の三姉妹の演奏は童謡を全国に広めるのに大きな貢献となりました。
(古茂田信男著 七つの子・野口雨情歌のふるさと」より)
■ 中山晋平(1887〜1952) 長野県生まれ。 小学校教員を勤めた後、東京音楽学校に入学、.ピアノ科を卒業、作曲を本居長世に師事。1914(大正3年)、芸術座「復活」公演の際して島村抱月に請われて作曲した「カチューシャの唄」が大ヒット。つづいて「さすらいの唄」「ゴンドラの唄」もひっとして一躍有名になる。大正末期から昭和初期にかけて野口雨情と童謡運動を展開し、最も人気のある童謡作曲家となる。 「雨ふりお月さん」「シャボン玉」「証城寺のたぬき囃子」「あの町この町」「船頭小唄」「出船の港」「波浮の港」「東京音頭」など数多くのヒットを飛ばしてレコード流行歌作家としても一世を風靡した。 その作品は3000曲余。
■ 中山晋平(1887〜1952) 長野県生まれ。
小学校教員を勤めた後、東京音楽学校に入学、.ピアノ科を卒業、作曲を本居長世に師事。1914(大正3年)、芸術座「復活」公演の際して島村抱月に請われて作曲した「カチューシャの唄」が大ヒット。つづいて「さすらいの唄」「ゴンドラの唄」もひっとして一躍有名になる。大正末期から昭和初期にかけて野口雨情と童謡運動を展開し、最も人気のある童謡作曲家となる。 「雨ふりお月さん」「シャボン玉」「証城寺のたぬき囃子」「あの町この町」「船頭小唄」「出船の港」「波浮の港」「東京音頭」など数多くのヒットを飛ばしてレコード流行歌作家としても一世を風靡した。 その作品は3000曲余。
あの町この町 1) あの町この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ 2) お家がだんだん 遠くなる 遠くなる 今きた この道 かえりゃんせ かえりゃんせ
あの町この町
1) あの町この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ 2) お家がだんだん 遠くなる 遠くなる 今きた この道 かえりゃんせ かえりゃんせ
1) あの町この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ
2) お家がだんだん 遠くなる 遠くなる 今きた この道 かえりゃんせ かえりゃんせ
3) お空にゆうべの 星がでる 星がでる 今きた この道 かえりゃんせ かえりゃんせ
1924(大正13年)「コドモノクニ」 作曲 中山晋平
1) こがね虫は かねもちだ 金ぐら立てた くら立てた あめ屋で水あめ 買ってきた 2) こがね虫は かねもちだ 金ぐら立てた くら立てた 子どもに水あめ なめさせた 1922(大正11年)「金の塔」 作曲 中山晋平
1) こがね虫は かねもちだ 金ぐら立てた くら立てた あめ屋で水あめ 買ってきた
2) こがね虫は かねもちだ 金ぐら立てた くら立てた 子どもに水あめ なめさせた
1922(大正11年)「金の塔」 作曲 中山晋平
兎のダンス
ソソラ ソラソラ 兎のダンス タラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタラ 脚で蹴り蹴り ピョッコ ピョッコ 踊る 耳に鉢巻き ラッタ ラッタ ラッタラ
ソソラ ソラソラ かわいいダンス タラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタラ 跳んで はねはね ピョッコ ピョッコ 踊る 脚に赤靴 ラッタ ラッタ ラッタラ
1) 俵はごろごろ お倉にどっさりこ お米がどっさりこで ちゅうちゅうねずみは にっこりこ お星さま ぴっかりこ 夜のお空に ぴっかりこ
2) いねむりごろごろ 舟こぎ ぎっちんこ こげこげ こっくりこで おやおや お目々は ぱっちりこ ちょうちん ぽっかりこ 鼻のちょうちん ぽっかりこ
3) 雷ごろごろ いなづま ぴっかりこ 夕立ざんぶりこで 洗濯 びっしょりこ お庭も びっしょりこ 雨でお庭も びっしょりこ
1925(大正14年) 「金の星」 作曲 本居長世
からす なぜ鳴くの からすは山に かわいい七つの 子があるからよ かわい かわいと からすは 鳴くの かわい かわいと 鳴くんだよ 山の古巣へ 行ってみてごらん まるい眼をした いい子だよ 1921(大正10年)「金の船」 作曲 本居長世 「金の船」創刊号 1919(大正8年)11月
からす なぜ鳴くの からすは山に かわいい七つの 子があるからよ かわい かわいと からすは 鳴くの かわい かわいと 鳴くんだよ 山の古巣へ 行ってみてごらん まるい眼をした いい子だよ
1921(大正10年)「金の船」 作曲 本居長世
「金の船」創刊号 1919(大正8年)11月
1921(大正10年)「小学女生」12月号に発表され、本居長世が作曲したのは翌年1922年8月です。
(1) 赤い靴はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった
(2) 横浜の埠場から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった
(3) 今では青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
(4) 赤い靴見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える
波浮の港 1) 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け 明日の日和は ヤレホンニサ 凪るやら
2) 船もせかれりゃ 出船の仕度 島の娘たちゃ 御神火ぐらし なじょな心で ヤレホンニサ いるのやら
3) 島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ 伊豆の伊東とは 郵便だより 下田港とは ヤレホンニサ 風だより
4) 風は潮風 御神火おろし 島の娘たちゃ 出船の時にゃ 船のとも綱 ヤレホンニサ 泣いて解く
1924(大正13年)「婦人世界」 作曲 中山 晋平
おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れすすき 1921(大正10年)「新作小唄13」 作曲 中山晋平
おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れすすき
1921(大正10年)「新作小唄13」 作曲 中山晋平
磯原節 1926(大正15年)、須坂小唄 1923(大正13年)、姥捨山 1923(大正13年)、信田の藪 1920(大正9年)、 上州小唄 1929(昭和4年)、三朝小唄 1927(昭和2年)・・・・・・。
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