延宝6(1678)年に麻布市兵衛町に建立され、元禄7(1694)年に現在地に移転。
安政3年(1856)7月ハリスとともに下田に着き、その片腕として日米修好通商条約締結交渉に活躍したオランダ人ヒュースケンのお墓があります。アムステルダムで生まれたヒュースケンは渡航先のアメリカで、ドイツ語、フランス語等も出来る語学力をハリスにかわれて日本に赴任しました。陽気で闊達な気質と日本の国情に精通した見識で、江戸に滞留する外国人の間で知名士でしたが、プロシア使節と日本側との通訳として通っていた赤羽接遇所からの帰り道、中の橋のたもとで刺客の一団に襲われました。1860年12月5日、享年28歳でした。
春には境内の桜、木蓮が見事な花を見せてくれます。 |