寛永8年(1631年)、誕生寺18世可観院日延の隠居寺として開山。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子で、文禄・慶長の役の際に
加藤清正によって日本へ連れてこられた人物です。弘化2年(1845年)、火災により全焼。現在の山門は安政3年(1856年)に、清正公堂の拝殿・幣殿は慶応元年(1865年)に再建されたものです。また、江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つ、毘沙門天を祀るお寺です。
加藤清正の位牌や像が祀られていることから清正公(せいしょうこう)とよばれ、付近の住民からは「清正公さま」として、勝負祈願の寺として信仰を集めてい ます。毎年5月4日・5日が 清正公大祭。清正公像が開帳され、菖蒲の入った勝守りが授けられます。 |