古儀真言宗 寛永 7年(1630) 、宥専。開基、筑前太守黒田忠之。薬師如来は里俗に「子安薬師」と呼ばれ、黒田候寄進の愛染明王像、子育塩地蔵などがあったが、第二次大戦で焼失した。
高野山真言宗と書かれた石柱と列んで弘法大師第二十七番」と書かれた石柱があります。これは御府内八十八ヶ所の内の二十七番を表しています。
御府内八十八ヶ所とは、弘法大師ゆかりの八十八ヶ所のお寺を、祈願のためにお参りする東京版お遍路コースです。四国遍路(四国八十八ヶ所)を模して宝暦5年(1755)頃までに開創されました。御府内とは、江戸時代に江戸城(現在の皇居)を中心として品川、四谷、板橋、千住、本所、深川の内側の地域です。
現在は、お寺の移転などで範囲が広がっていますが、ほぼ23区内と考えて良いでしょう。麻布十番からすぐ近くの高輪にある高野山東京別院が第一番です。
弘法大師霊場には四国八十八ヶ所の他に関東だけでも 、関東八十八ケ所、御府内八十八ケ所、多摩八十八ケ所、玉川八十八ケ所などのお遍路コースがあります。 |