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赤い靴イラスト新しい「きみちゃん」像の建設計画の報道

 

★2009.8月現在、赤い靴の女の子「きみちゃん」の像は、麻布十番のほかに、生まれ故郷の静岡県日本平山頂、歌詞に読まれた横浜の波止場・山下公園、母かよさんが入植した開拓農場のあった北海道留寿都村 、かよさん夫妻が晩年を過ごした北海道・小樽市の運河公園にあり 、平成 21年8月7日、新しくに6つ目の像が函館に出来ました。函館はきみちゃん、かよさんがはじめて北海道に渡ったところです。計画を伝える新聞を載せてみました。


函館桟橋◆北海道 函館市に新しい計画が進んでいます。

お母さんかよさんとまだ赤ちゃんだったきみちゃんが静岡県清水市(現静岡市清水)からはじめて北海道に渡ったのは明治36年のことでした。当時、北海道の玄関は函館でした。函館東浜桟橋、今は使われていませんが吹雪の桟橋に降り立ったかよさんときみちゃん、どんなに寂しかったことでしょうか。その桟橋にきみちゃんの像を建てる計画が立てられました。
 今、きみちゃんの像は、横浜、静岡県日本平、麻布十番、北海道留寿都、北海道小樽の五ヶ所にあります。計画中の像は青森県鰺ヶ沢、北海道札幌の二ヶ所です。すべてが完成すると函館の像は八つ目になります。順調に進んでみんな出来るといいですね。

 右の写真は現在の函館東浜桟橋です。桟橋の左には「北海道第一歩の地碑」が立っています。近くには、函館博物館、ペリー提督来航記念碑、金森美術館、北島三郎記念館などもあります。この桟橋は現在は使われていません。歴史的記念碑として残されていますが、この桟橋に赤い靴の女の子きみちゃんの像を建てることが計画されています。作者は、函館出身の彫刻家でローマ在住の小寺真知子さんです。小寺真知子さんは同じ函館に、ペリー提督像や土方歳三像等々を創っています。 新しい「きみちゃんの像」楽しみですね。

こちら
2008.4.30.


◆北海道新聞 2008.5.24.(土)夕刊

北海道新聞


◆陸奥新報 2006.9.22.

    鯵ケ沢に童謡・赤い靴の親子3人像建立へ

モデル少女の養父出身地 鰺ケ沢町に発足した赤い靴記念像建立協賛会

鰺ヶ沢町 会議 「赤い靴はいてた女の子異人さんに連れられて行っちゃった」と歌われる童謡「赤い靴」。そのモデルとなった少女の義父の出身地とされる鯵ケ沢町に、少女親子3人の像が建立されることになった。町内の商工、観光関係者が20日、赤い靴記念像建立協賛会を設立。童謡ゆかりの港町に、新たな「物語」が誕生しようとしている。
 同町本町の郷土史家・桜井冬樹さん(78)が2000年秋、長谷川兼己町長から1冊の雑誌を手渡された。その中の「赤い靴の少女に導かれて」の文中、少女の義父鈴木志郎が鯵ケ沢町出身とあり、桜井さんは調査を依頼された。01年2月から町広報の歴史をひもとくページに「赤い靴をはいてた女の子をさがそう」を5回連載するなど、町に話題を呼ぶきっかけにもなった。
 桜井さん自身、明治時代に自宅近くに住んでいた「鈴木金兵衛」という人の家が「赤い靴の女の子と関係があるらしい」と聞かされたことがあったという。調べた結果、少女の義父とされる鈴木志郎は1880年、金兵衛の二男として生まれ、後に函館で静岡県出身の岩崎かよと結婚。かよは「きみ」という幼子を抱えた未婚の母だった。
 羊蹄山のふもとで開拓を志していた志郎は、山深い開拓作業に幼子を連れて行くのは無理と判断。母親のかよが知人の口利きで、娘のきみを函館の米国人宣教師に養女に出した。 しかし開拓作業は2年余で失敗し、志郎は札幌の新聞社に勤務。その同僚に「赤い靴」作詞者の野口雨情がいた。志郎は、事あるごとに手放した娘の話を聞かせていたという。
 歌詞で女の子は「異人さんに連れられて行っちゃった」とあるが、きみは結核を患い、実際には海を渡ることなく、1911年(明治44年)、東京麻布の児童擁護施設で命を落とした。わずか9歳だったたという。
 母と別れた少女の物語「赤い靴」は、もの悲しい童謡の旋律と重なって有名になり、今は出身地や入植地、児童施設があった横浜市の山下公園、北海道留寿村、東京港区麻布、静岡市などゆかりの地に少女や母子像が建立されている。
 この日、鯵ケ沢町に設立された建立協賛会の総会には、会員と町関係者らが出席し、町文化振興連絡協議会の神唯一会長を会長に選任した。記念像は高さ1・6メートル(少女は1メートル)の親子3人のブロンズ像。建立場所は海の駅わんど駐車場の一角に決め、2008年春に除幕する予定。資金約900万円は町内外からの募金で賄う。
 「赤い靴」に関する親子3人の像は初めてで、町と協賛会は「歴史文化観光の振興だけでなく、親子愛の深さと命の尊さも伝えたい」と完成を心待ちにしている。

2008.5.29.

 


◆北海道新聞  2006.10.24.

   「赤い靴」像 札幌にも モデルの母と雨情出会った地 建立目指し世話人会    2006/10/24

札幌 赤い靴世話人  野口雨情が作詞した童謡「赤い靴」の母子像が、歌が生まれるきっかけとなったゆかりの地札幌に建立されることになった。札幌市内の有志が、長年童謡と札幌の関係を研究してきた友人の遺志を継ぎ、母子像建立に向けて世話人会を立ち上げることを23日決め、本格的に活動を開始した。
  童謡は「異人さんにつれられて行っちゃった」と、少女の悲運を歌った。モデルの岩崎きみ(1902-11年)は静岡で生まれ、母かよ(1884-1948年)と函館で暮らしていたが、後志管内留寿都村入植を前に開拓の厳しさを案じた母親が米国人宣教師の養女に出した。米国に渡るはずが、実際には結核を患い九歳で東京の麻布十番で亡くなった。
  かよが留寿都村から移り住んだ札幌の山鼻地区で同じ長屋に住んでいた雨情が、かよから聞いた話を基に作詞。童謡にちなんだ像は、留寿都村のほか、静岡市、横浜市、麻布十番にあるが、札幌にはない。
  有志は札幌市清田区の斎藤勝雄さん(79)らで、2004年に82歳で亡くなった札幌市内の元小学校長酒井明さんの遺志を継いだ。三年前、斎藤さんが編集を担当していた札幌老人クラブ連合会の記念誌に、酒井さんが母娘の生涯と札幌のつながりをまとめた研究成果を投稿したのがきっかけで知り合った。生前酒井さんは「札幌にこそ母子像を建てたい」と話していたという。
  建立時期は未定だが、場所は山鼻地区か、多くの人の目に触れる札幌市中心部を想定している。 斎藤さんは「酒井さんの情熱に心を動かされた。何とか思いを実現したい」と話し、多くの市民の協力を呼び掛けている。問い合わせは大内良一さん(電)011・885・5519へ。   
<写真:「酒井さんの遺志を継いで母子像を建てたい」と語る斎藤勝雄さん>


◆北海道新聞 2006.11.16.

童謡「赤い靴」の女の子 「3人一緒」小樽に親子像 全国で初     2006/11/16 07:39

小樽 赤い靴世話人 【小樽】野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルとされる岩崎きみ(1902-11)の母親が夫と一緒に過ごした小樽に、きみを囲んだ親子三人の像を建立する計画が進んでいる。母親らが小樽のカトリック富岡教会の熱心な信者だったのが縁。きみの像は全国四カ所にあり、札幌でも建立が計画されているが、三人の親子像は初めてになる。
 きみは静岡県で母かよと内縁の夫との間に生まれ、母子二人で函館に移り住んだ。函館で、かよは鈴木志郎と結婚。その年、後志管内留寿都村への入植を前に、米国人宣教師夫妻にきみを預けたが、きみは米国に渡ることはなく、結核を患って東京都内で九歳で死んだ。
 小樽で建立される親子像は、きみを間に挟み、かよと志郎が寄り添う。三人が親子として一緒に暮らした時期があるかどうかは定かではないが、同教会の新海雅範神父(59)は「悲運の一生だったきみは、天国で家族一緒に幸せな時間を過ごしているはず」と意義を話す。
 小樽市内には志郎夫妻が眠る墓もある。小樽観光ガイドクラブ会長の倉重紀久男さん(66)は「米国に渡ったと信じていた娘の幸せを祈りながら、かよと志郎が晩年を過ごした小樽に三人一緒の像が建てられるのはすばらしいこと」と話している。
 新海神父は年明け後、三人の像建立に向け、広く募金を呼びかけていく。建立場所は同教会内になる予定。
 「赤い靴」の像は留寿都村のほか、静岡市、横浜市、東京都港区にある。
<写真:きみの「両親」が眠る小樽市内の墓の前で「3人一緒の像が小樽に最も合う」と語る倉重さん>

◆この記事は
東京新聞で「話題の発掘」欄にも紹介されました。


◆北海道新聞 2007.6.5.

赤い靴の像、デザイン決定 小樽        2007/06/05 08:24
 

小樽 赤い靴 デザイン

 【小樽】小樽の市民有志が市内で建立計画を進めている童謡「赤い靴」の親子三人像のデザインが決まった。「女の子」のモデルとされる岩崎きみと母親かよが見つめ合い、それをかよの夫・鈴木志郎が後ろから優しく見守る構図。デザインを担当した地元の造形作家・ナカムラアリさん(43)は、「親子のきずなの大切さを訴える像にしたい」と話している。

 三人像は、かよと、鈴木志郎がともに熱心なカトリック信者だったことから、小樽市内のカトリック富岡教会の敷地内に建立されることが決まっている。ワンピース姿のきみを中央に、和服を着たかよ、背広姿の志郎が後ろ側に座り、志郎がきみの肩に手を添える。高さは約百五十センチで、「赤い靴」のオルゴールのメロディーを流す。除幕式は十一月を予定している。

 制作費は六百五十万円を見込み、寄付を募っている。個人は一口千円から、団体は一口一万円から。寄付は郵便振替で02740−3−64796、「赤い靴・親子の像」建設委員会へ。
  問い合わせは同建設委員会(富岡教会内)(電)0134・22・6278へ。


◆親子三人像について考える

小樽 親子像デザイン画★六本木のホテルアイビスで先日、『「赤い靴」きみちゃんアカデミー』という催しがありました。会への参加を呼びかけるリーフレットには、『童謡「赤い靴」の女の子きみちゃんの短く悲しい生涯から、親子、家族の絆、子どもの人生 をみんなで考えてみる、そして、そういう輪を広げていきたいと考えています。』と書かれていました。会の主催者から「きみちゃんについて、子どもたちのためのチャリティーについて話してください」と、きみちゃんについてのいわば語り部役を頼まれ、その会に参加してきました。きみちゃんに興味を持 ち参加された方は15名、女学校の先生、主婦、大学生、少年院の教官、大学教授等々様々で、それぞれすでにきみちゃんのことはかなり詳しく調べている方でした。麻布十番と赤い靴の女の子きみちゃんとの出会いから話し始め、像の完成、チャリティーのはじまり、広がり、今、 そしてこれからと私の知っているきみちゃんについて話し、きみちゃんを通して出会った大勢の方々との交流の輪について、またそこから学んだいろいろな思いを話してきました。最後の質問の時、少年院の先生からこんな質問をうけました。「今、五つ目、六つ目 、七つ目のきみちゃん像がそれぞれきみちゃんゆかりの地、北海道・小樽、札幌、青森県・鰺ヶ沢に計画されているそうですが、小樽と鰺ヶ沢の二つが今までのきみちゃん像と異なり親子三人の像と うかがいました。何故、親子三人の像なんでしょうか。親子の絆、親子の愛情を訴えるのなら、きみちゃんの母・かよさん、義父・鈴木志郎さんにはきみちゃんとは義理の妹になるお子さんもいる とうかがっていますが・・・」というものでした。一瞬 ドキッとしました。新しい像が出来ることを、きみちゃんを知ってもらい、母子の絆の大切さを知ってもらう機会とよろこんでいましたが、親子三人の像をそのような観点から見ることをしませんでした。おそらく小樽、鰺ヶ沢の 親子像建設に関わっている方々も同じではないでしょうか。こんな応えを返したのですが、皆さんはどうお思いでしょうか。
 「親子三人の像が出来ることを単純によろこんでいました。きみちゃんのお母さん・かよさんは後に鈴木志郎と再婚して、きみちゃんの義妹にあたる「のぶさん」「その さん」、子どもたちに恵まれていますね。そうですね、親子、家族の絆を考えると言うのでしたら、確かに三人の像でなく家族五人の像になりますね。でも、こう考えたらどうでしょうか。のぶさん、そのさんたち妹は、ご両親のかよさん、志郎さんとずっと一緒でした。開拓農場、郵便配達、炭坑夫、樺太で 伝道師としての布教活動と厳しい生活だったようですが、親子一緒に苦労をともにし、また楽しみもともにして過ごしたのではないでしょうか。きみちゃん一人が、三才で宣教師 ヒュエットさん夫妻の養女にだされ、五才で孤児院に預けられ九才で一人寂しく亡くなっていたのですから、今、親子三人仲よくならんだ像を創って、きみちゃんゴメンねと言いながら亡くなったかよさんの思いを、親子の絆の大切さをきみちゃんを通して伝えていく。私は親子三人像の建設委員ではありませんが、そのように思って頂ければきっときみちゃんもかよさんも志郎さんも、よろこんでくれるのではないでしょうか」。(カットは小樽の親子像の予定デザインから)

2007.7.11.コラム「店声仁語」より


◆中日スポーツ 他 多紙 2007.9.3.

中日新聞


◆北海道新聞 2007.10.20.

「赤い靴」親子像 小樽・運河公園に建立 来月除幕式  10/20 13:50 

ナカムラアリ 【小樽】小樽市民有志が制作を進めてきた童謡「赤い靴」のモデルとされる岩崎きみを囲む親子三人像の建立地が、小樽運河北端の運河公園(色内三)に決まった。除幕式は十一月二十三日に行う。

 親子像は、地元の造形作家ナカムラアリさんが、きみと母親のかよ、かよの夫の鈴木志郎が寄り添う姿をブロンズで制作。建立地は当初、カトリック信者だった夫妻とかかわりの深いカトリック富岡教会(同市富岡一)の敷地内を予定していたが、「市民や観光客が気軽に立ち寄れる場所に」と変更した。同像建設委員会が呼び掛けてきた募金も八百九十万円余りに達し、目標額の六百五十万円を大きく上回った。

 運河公園は、国の重要文化財に指定されている旧日本郵船小樽支店の向かいにあり、大正から昭和にかけての石造り倉庫を再現した休憩施設などがある観光スポット。
 

赤い靴イラスト ←粘土で作られた、親子3人像の原型 とナカムラアリさん

 

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